改訂版ドルフィン・ジャンプの20 臨界ジャンプ

改訂版ドルフィン・ジャンプ全29章 目次です

ドルフィン表紙

 

  20 『臨界ジャンプ』

 サンノゼ総合病院に帰ったルークが肩を落として、巨悪組織ATOの告発作戦が水の泡と消えたことを告げると、チョウ医師も理沙もさすがのカノンもすぐには言葉が出なかった。
 アラン、博士、エリザベスが拉致された失意の中で、ようやく手に入れた残された唯一の証拠ビデオが、意地の悪い手品のような仕掛けですり替えられてしまった。もはや手の打ちようもなさそうに思える。
「すみません、ドクター・チョウ、リサ。ごめんよ、カノン」
「ルーク、貴方のせいじゃないわ」
「そうだぞ、君の責任じゃない」
「お兄さん、謝らないでよ。やだな、私たちは終わったわけじゃないんだよ。私たちの合言葉は、ポジティブ思考でゆこうだよ」
「ありがとう」
 ルークが礼を言ったにも拘らず、当のポジティブ思考を唱えたばかりのカノンがすぐにうつむいて「でも考えてみたら」と前置きして弱音を吐いた。
「私がお兄さんにマックスを助けてなんて言い出したのがそもそもの始まりなんだよね。そのために、お兄さんも、アランも、ハルバート博士も、リサお姉さんも、エリザベスもひどい目に遭わせちゃって。皆、私のせいなんだよね。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい」
 カノンはポロポロ涙をこぼした。ルークと理沙はカノンの手を包むように握った。
「カノン、それは違うよ、悪いのはどう見ても組織の奴らだ。カノンはひとつも悪くないんだよ」
「そうよ、カノンちゃんは私達の天使なんだよ。あなたがあきらめちゃダメじゃない」
 そう言われてもカノンは顔を左右に振るだけだ。
「天使な訳ないよ。ハルバート博士も私に『戦争を無くすのはキミだ』とか言ってくれたけど、私は普通より弱い、体も弱い女の子だよ。何も出来る筈ないでしょ」
 カノンがそう言うと理沙がカノンの手をさする。
「別にカノンちゃんにプレッシャーをかけるつもりじゃないのよ。カノンちゃんは普通にしてるだけで私たちに希望を感じさせてくれるの」
 チョウ医師もカノンを諭した。
「君が自分のせいにすることなんかひとつもないんだ。君がミスしたわけでもないんだから何も謝ることはないよ。
 私は職業柄、情報が足りない時は断定しない主義なんだが、君は特別だ。カノンちゃんは必要とされている子なんだよ」
「僕の心を読めるだろ。僕はカノンのせいだなんてひとかけらも思ったことないぞ」
 テレパシーの出来るカノンにその場だけのお世辞なんて通用しない。カノンはくしゃくしゃの顔でうんうんと頷くと、ルークが言った。
「ハルバート博士が言ってたろう。人類が物質にしがみついて滅亡につながる道を歩むのか、鯨やイルカに学んで共生する文明に学んで進化するか、歴史上、とっても重要な分かれ道に来てるんだ。その鍵を、なんとこの僕たちが開けようとしているんだよ。だから今はとても大変で、僕らはあきらめかけたりする。
 するとカノンがポジティブ思考でゆこうって力をくれるんだよ。奴らも必死で邪魔して抵抗するけど最後には僕らの方が勝つんだ、きっとね」
 理沙が提案した。
「そう、また皆で知恵を絞ってみようよ」
「うん、僕らが勝つための道はひとつじゃないから、思いもしてなかった方法が急に見つかるかもしれないよ」
 ルークが言うと、カノンが「そうだね」とつぶやいてようやく顔を上げた。

「マックスの脳に埋められてたビデオ、あの中で告発してたフィリップって人の言葉を、私、いくつかメモしてダイニングテーブルに置いてたんだけど、私が書いたものじゃ証拠にならない?」
 カノンが言うとルークは嬉しくなった。
「証拠にならなくても、そこにヒントがあるかもしれない。見せて」
 するとカノンはポシェットからたたまれた状態の折り紙の鶴を七羽取り出した。日本の一般的な折り鶴と比べるとひと回り以上大きいのは用紙サイズのせいだろう。
「カノンは器用だな」
 ルークが褒めるとカノンが言った。
「これはリサお姉ちゃんから折り方を教わったの、オリヅルって言うんだって」
「奴らはここに来た時、証拠を探して部屋中荒らしていったけど、このオリヅルまでは怪しまなかったんだな。これはカノンとリサのお手柄だ」
「そうだといいけど」
「じゃあ、カノン、少しずつ読んでくれるかい」
「任せて」
 大人たちが聞き耳を立てる中、カノンは折り鶴を開いてメモを読み始めた。

「ことの始まりは東西冷戦時代、アメリカ合衆国も軍や諜報部で真剣に超能力、テレパシーを研究してきたことから始まる。西暦1980年代半ばから新型人類ニュータントが出現しはじめた。
 このニュータントは新しいニューと突然変異のミュータントの合成語で、テレパシー能力の覚醒しかけた人類に対して巨悪組織ATOがつけた呼び名。
 テレパシーなどと言うとすぐに否定されるように思われるが、全米で否定する割合は四割止まり、肯定は三割を維持している」
「カノン、そこで止めて、ここで何か気になることはある?」
 ルークが聞くとチョウ医師が応じた。
「面白いな。時期が一致する」
「何の時期ですか?」
「八〇年代以降は、世紀末が近づいて人々の不安が高まった。それでか薬が効かない病気や神経的な症候群が急に増えた。一方で、普通の何十倍、何百倍もの免疫力を持った超免疫人類と呼ぶべき人々が出現したんだ。それと、ニュータントの出現が同時ってのは、もしかしたら進化の兆しかもしれん」
「そうなんですか! それはきっと深い意味がありそうですね」
「うん、俺はロビンのような柔軟な発想は苦手なんだが、今、ニュータントの話を聞いて、超免疫人類のことを思い出して鳥肌が立ったよ」
 チョウ医師が言うと理沙が言った。
「なんとかして人々を救おうという神様の意志が働いているのかもしれないわ」
「うん、そうかもね」
「じゃあ、カノン、次のところを読んでくれる?」

カノンは巨悪組織ATOのデイドリーム作戦の概略を語り、彼らがいかに大衆を支配してるかを語るとチョウ医師が唸った。
「うむ。現実に偏った富と権力を持った連中が、なんの抵抗もせず素直に自分たちの権益を捨てて平等、博愛に進むとは考えにくいからな。金は腐るほどあるんだから、それでなんとかテレパシーの覚醒、進化を阻止しようというのがデイドリームプロジェクトという巨悪の陰謀の正体というわけか」

 カノンが次の折り鶴に移り、テレパシーを出来る人間が少しずつ増えると『臨界ジャンプ』が起き、あっという間に拡散し人類全体に及ぶ進化となり得ると述べた。
 そうなれば巨悪組織ATOが仕組んできた風潮や流行の演出、戦争の本当の理由が
ばれて、平和な革命を惹き起こし現在の支配者は退場を余儀なくされる。そのためにATOはテレパシーの覚醒を敵視し、覚醒しかけた能力者を拉致していると告げた。

 そこでチョウ医師が手を上げて発言した。
「今の臨界値を超える『臨界ジャンプ』に関して思い出した話がある。ロビンが俺に本を持ってきて話してくれたんだよ。
 それはライアル・ワトソンが紹介した日本にある幸島の猿の話なんだが、砂まみれの芋はそのままでは食べにくいから猿は捨てていた。
 ある時、若い猿がその砂だらけの芋を水で洗って砂を落としてから食べる方法を発見した。すごい発見なんだけど、これはすぐには広がらなかった。
 だが若い猿たちの間で徐々に芋洗いが流行し、ある時、芋を洗う猿が百匹に達した。
 すると群れの猿たちばかりか、遠く離れた群れの猿たちの間にまで、芋を洗う流行が一斉に広まったという。これが有名な『百匹目の猿』の話だ」
 カノンが「へー、面白いーっ」と手を叩いた。
「もちろん百匹は正確な数ではないだろう、実際は99匹なのか、121匹なのかわからないが、とにかくある数が臨界値となったわけだ。『臨界ジャンプ』も同じシステムが作用してるのかもしれないな」
 チョウ医師がつぶやいたが、ルークはじっと考え込んでしまった。
 
 さらにチョウ医師が発言した。
「しかし百匹目の猿の話は一般受けはいいが、実証は難しい。そこでロビンはこの仕組みを説明できるシェルドレイク仮説を説明した。それは現在の特徴的な形、行動の形態は、過去の同じような形態を継承するという説でね。ひらたく言うとパターンは共鳴という方法で時空を超えて伝染するってことだ。
 これをイギリスのテレビ局が実際に実験で試した」
「どんな実験?」とカノンが聞く。
「だまし絵の正解率がテレビ放映の前後で変わるかを調べたんだ。もちろん番組が見れる地域と番組が見れない地域での正解率と比べた。そうしたら、初めて見せた絵にも拘らず、テレビ公開前に比べ公開後は正解率が明らかに上がった。
 つまりテレビを見た人の意識が、テレビを見てない遠い人に共鳴したわけだ」
「すごい、それってテレパシーのはじまりみたい」
 カノンが嬉しそうに声をあげた。

 続いてカノンは意識統御チップの仕組みは高い周波数の電磁波を可聴範囲の周波数に変調するのを制御するのだと述べた。
 チョウ医師が頷いて言った。
「うん、この部分はテレパシーの仕組みの解説だな。脳にはスーパーコンピューター並みの細胞があるからな。まだ人間が使い方に気づいてない潜在能力を秘めていることは十分考えられる。それに量子もつれは距離を超越して一瞬で伝わるからな。もしそれがテレパシーを基礎づけているとすれば今まで疑わしかった点も理論的に解明できるかもしれない。俺もそろそろテレパシー肯定派に鞍替えした方がいいかもしれん」
 ルークが黙ったままだったので、カノンは理沙に振った。
「リサお姉ちゃん、何かある?」
「そうね、私はカノンちゃんほどコントロールできないけどテレパシーが本物だってことは知ってる。だからその仕組みもきちんと発表される日も近いと……」
 理沙の言葉をさえぎって、それまで考え込んでいたルークが突然、言い放った。
「百匹目の猿に匹敵する人類、例えば数千人の人間を僕らで集めてテレパシーについて教えて訓練するんだ。臨界値を超えれば『臨界ジャンプ』が起きて、それこそ爆発的にテレパシー人口が増えるだろう。そしたら悪の組織はデイドリームプロジェクト自体をあきらめるしかない。これは僕らができる最高の反撃作戦だよ」
 カノンには実際にそんなことができるのか想像もつかない。
「そうかもしれないけど、数千人の仲間を集めるなんてできるかな?」
 カノンの疑問にルークが答える。
「カノン、どうしてもやりたいことがあったら、心配するよりチャレンジしてみることが大事だよ。一生懸命考えて、一生懸命実行すれば、できる可能性が上がる」

 ルークはチョウ医師に問いかけた。
「先生、人間が『臨界ジャンプ』する臨界値は何人だと思います?」
「それが真実に機能するという前提になるが、所属する共同体の規模によるだろう。サルの場合は共同体が小さいから百匹程度で起きたのだろうが、現代の人間の場合は共同体も大きいから数千人じゃ足りないだろう。少なくとも一万人規模が最低でも必要になるんじゃないか」
 チョウ医師が言うとカノンが疑問を投げかける。
「お兄さん、どうやってそんなたくさんの人を集めるつもり?」
「皆で考えましょう」
 理沙が言うと、みんなが考え込んだ。

 しばらくしてルークが沈黙を破った。
「うん、やっぱりイベントを仕掛けよう」
「どんな?」
 カノンが聞き返すと、ルークは逆に質問した。
「カノンはどういうイベントなら、テレパシーに賛成して身に着けたい人や、できればテレパシーの才能がある人が集まると思う?」
「うーん、難しい質問ねえ」
「じゃあ、こういう時はカノンの好きなあの曲かけてよ」
 笑みを浮かべてルークが言うと、カノンはラジカセでG線上のアリアを流した。
「あ、そうかあ! お兄さん、私もこれがいいと思う」
「このG線上のアリアの歌手マリア・グリーンに二票入ったよ。リサとチョウ先生はどうですか? 人集めのイベント企画にマリア・グリーンのコンサート」
 チョウ博士も笑みを浮かべた。
「きれいな歌だねえ。じゃあ僕も一票」
「あら、私もマリアなら、きっと心の優しい人たちが沢山集まるって思ったわ」
「全員一致で決まりね」
 カノンが声を上げるルークが頷いた。
「うん。あと協賛スポンサーをつけて、キャンペーンCMができたら一万人は集められる。裏のタイトルは『臨界ジャンプ作戦』だ」
「そういうのって専門の広告会社じゃないと難しいんじゃないか?」
 チョウ医師が言うと、ルークは親指を立てた。
「エヘン、俺は大手広告会社勤務です」
「お兄さんそうだったね。でもさ、ずーっとさぼってるからもうクビかもしれないよ」
「気にしてること言うなあ。一応、会社には悪性のインフルエンザでしばらく入院てことにしてあるけどな。巨悪組織ATOにマークされてる以上、のこのこと出社できないが、後輩がいるからそいつに頼んでみる」
「じゃあ、決まりね。『臨界ジャンプ作戦』をみんなで成功させましょう」
 理沙が言うとカノンが「イエー」と声を上げ四人はハイタッチした。

つづく