改訂版ドルフィン・ジャンプの19 証拠
改訂版ドルフィン・ジャンプ全29章 目次です
19 証拠
午後一時、ルークはレンタルしたトヨタプリウスからDDP研究所を見張っていた。
場所はDDP研究所から20メートルほど離れた反対車線。助手席のカノンも相手がこちらに攻撃的な意志を持っているか確認するためルーク同様、双眼鏡で眺めている。
「どう? まだ現れない?」
「まだだ。おっ?」
ルークはGMCサファリを運転している男の顔を双眼鏡で見つめた。髪はクルーカットをそのまま伸ばした感じで年も20代と若い。ダニエルは30代半ばで細長い顔に豊かな髪を真ん中から分けているはずだ。
「違った、うん、あれは?」
前方から近づくホンダオデッセイを運転しているのはキャリアウーマン、切れ長の目と長い睫毛に、薄いピンク系の唇が微妙に突き出し加減で印象的だ。
「あっ」
「あ、浮気者、リサお姉さんに言いつけてやるから」
「待てよ、別に好きとかじゃないよ」
カノンは双眼鏡をおろし、すぐに「なるほど」と頷いた。
「振られたパティーさんに似てるのね」
ルークは声を荒げた。
「お、お前ね、人の心を勝手に読むなって言ってるだろ」
「えへへ、ごめん」
カノンはさすがにやりすぎたと思い謝った。
「うん、わかればいい」
ルークが言った直後、DDP研究所から出てきた銀メタのGMCアカディアを運転している男がダニエルのイメージぴったりだった。
ルークは双眼鏡で確認して言う。
「カノン、あの男だ」
「今、読み込む」
カノンは双眼鏡の男に意識を集中し、心を読むと頷いた。
「大丈夫みたい、あの人は攻撃的な気持ちはないし、ルークなんて顔もすっかり忘れているわ。今は息子が受けるフットボールチームのテストを応援しに行くところ」
「デジタルオーディオプレーヤーにおかしなファイルがあることに気付いてない?」
「ちょっと待って……、オーディオプレーヤーの中身なんて意識してない」
「よし、オーディオプレーヤーはどこ?」
「今は会社の机よ、夕方、帰る時は忘れずに家に持ってくみたい」
「じゃあ、ダニエルの帰宅時間に作戦決行だ」
◇
午後五時すぎ、ルークたちは再び、プリウスの中から双眼鏡でDDP研究所の出入り口を監視していた。
銀メタリックの車体が現れた。
「よし、アカディアが出て来たぞ」
双眼鏡で確かめるとダニエルはイヤホンを耳にかけコードは胸ポケットの中だ。ルークはシフトレバーをドライブに入れ、ハンドルを切る。
「急ぐよ」
ルークはレンタカーのプリウスをUターンさせた。
「ダニエルが聞いてるのはデジタルオーディオプレーヤーかい?」
「そう」
それならルークにとって好都合だ。
「信じられる? あの歳でロックに合わせてハンドルを指で叩いてリズムとってるの」
「きっとあの歳だからなんだよ」
ルークは笑った。
10分も走らないうちに、ダニエルはショッピングセンターの駐車場に入り、ルークたちも距離が開きすぎないよう気をつけて、中に入った。
ダニエルは大きな吹き抜けを楕円に囲む通路を歩いている。
その10メートル後ろにルークたちはついている。
「よし、カノン、ムーブ」
ルークの合図で、まずカノンが少し早歩きでダニエルを抜いた。
カノンとダニエルの距離を見て、今度はルークが走ってダニエルを抜きにかかる。
ルークは追い越しざま、ダニエルの胸ポケットからイヤホン端子をちぎるように引き抜いてデジタルオーディオプレーヤーを奪い、たたんである数枚の50ドル札を代わりに素早く押し込む。
そしてルークは全速力でダッシュして、ダニエルの前に出ていたカノンを突き飛ばすふりをした。
カノンは倒れて大きな声を上げる。
「痛ーい、骨が折れたあ」
突然の展開についていけず、イヤホンだけをしたまま小走りに近寄ったダニエルは、大声で痛がるカノンに声をかけた。
「骨は大丈夫かい?」
「ありがと、すごく痛かったけど骨は大丈夫みたい。おじさん。今のひと、何?」
「泥棒だ。プレーヤーを盗られた」
「ひどい!」
ダニエルは胸ポケットを確かめ折り畳んだ50ドル札を確かめると首をひねった。
「でも代金は置いてったよ、変な泥棒だな」
「あ、それって知ってるよ。不幸中のサイワイって言うんだよね」
「あ、ああ」
「悔しいけど、私も家に急ぐし怪我もたいしたことないから、今、転ばされたことは刑事告訴しないでおく。おじさんは?」
「うん、告訴してもプレーヤーぐらいじゃ警察も動かないよ」
「じゃあ、さいなら」
カノンは少し足をひきずってみせて早足で立ち去った。
◇
カノンが駐車場でプリウスに乗り込むとルークが聞いた。
「どう、大丈夫だったかい?」
カノンは「うん」と答えた。
「面白かったあ、こんなの初めて」
「心臓は?」
「そんなに病人扱いしなくても大丈夫だよ、本当はもう少し速く走れるんだよ」
「うん、思ったよりカノンの足が速くて驚いたよ」
ルークは手を掲げてカノンとハイタッチした。
「ブツは?」
「この通り」
ルークは証拠の入ったデジタルオーディオプレーヤーを見せた。
「でも可愛い女の子がブツなんて言葉使うなよ」
「エヘヘ、私を可愛いと認めてくれたわけね」
「恋愛の対象じゃないけど」
「わかってる。今、リサお姉ちゃんのことを考えないで、こっちが恥ずかしくなる」
「だから俺の心を覗くなって。さあ新しい我が家の病院に帰るよ」
「病院はイヤだけど仕方ないね」
診察室に直行したルークはチョウ医師にサムズアップを見せて言った。
「奴らの悪事の証拠を手に入れました、ご覧になりますか?」
「お、やったな」
ルークはノートパソコンに、デジタルオーディオプレーヤーを接続して、記録されているファイルを探した。
チョウ医師、カノン、理沙も息を呑んで見守っている。
「どのファイルなの?」
「簡単に見つからないようにわざと領域の一番後ろの方にコピーしたんだ。あ、これだ。サイズが音楽ファイルよりずっと大きいだろう」
ファイル名を確認してクリックすると、ビデオプレーヤーが起ち上がって、イルカの脳に意識統御チップDDM1が埋め込まれるシーンが映しだされた。
「こいつはすごい証拠だ」
「この先に人体実験もあります」
「この証拠ビデオなら、どんな相手でも告発できるな」
チョウ医師が言うとルークも頷いた。
「ええ、今度は僕がマスコミに直接渡します。きっとうまくいきますよ」
「よかった、これでハルバート博士と奥さんも帰って来れるね」
「ところでチョウ先生、このパソコンにバックアップを取ってもいいですか? 念には念を入れておかないと、相手は巨悪組織ATOですから」
「ああ、かまわないよ」
ルークはチョウ医師のノートパソコンに証拠ファイルの複製を残した。
◇
SCテレビのディレクターが編集作業中ということでルークはテレビ局の小さな編集スタジオに通された。ディレクターはアラブ系の30歳前後の男性でカールした前髪とカストロ鬚と白い歯が印象的だ。
「はじめまして、サイイド・アリ・サルマンです。特集スクープを担当しています」
差し出されたサイイドの手をルークはしっかり握って挨拶した。
「電話したルーク・フリードマンです」
「最初に応対しました者が失礼して申し訳ありませんでした。何せ持ち込み情報が多いもんですから、物的な証拠か映像のある方以外は受け付けてませんのでお許し下さい」
「いえ、こちらこそ突然でしたから」
そこでルークは気になることを思い切って聞いてみた。
「失礼ですけど、サルマンさん」
「サイイドでいいですよ。アラブでは自分の名に、父の名、祖父の名を続けますが、苗字を呼ぶ風習はないのです」
「サイイドさんはイスラム教の方ですか?」
「そうですよ」
「同時多発テロ以降はパトリオット法もあるし、いろいろ偏見があって取材も大変じゃないですか?」
「ええ。何度か取調べを受けたこともあります。もちろんテロ組織なんかと繋がりはありませんから解放されましたが」
ルークは頷いて初対面でそこまで話す必要はないかもしれないと思いながらも正直に告白した。
「偏見って恥ずかしいことです。実は僕は最近まで日本人に偏見を持っていたんです。祖父がカミカゼに殺されていたので。でも最近日本から来た女性に惚れてしまって大変でした。なんとか理不尽な偏見を謝罪して全部吐き出して今では尊敬し愛しています」
「いいお話ですね。ルークさんとは尊敬し理解し合えそうだ」
「ええ。そういう関係になれると思います」
「では早速ですがカメラを回させてもらっていいですか?」
そこでビデオカメラが小さなテーブルに置かれ回された。
「それで、謎の巨悪組織に学者が誘拐されたとか?」
「はい、動物言語学のハルバート博士とその夫人、プログラマーのアランの三人です。内部告発者も一人いますが安否は不明です。巨悪組織の名前はATOといって民間軍事会社も抱き込んでます。陰謀の作戦名はDDP、デイドリームプロジェクトです」
「白昼夢プロジェクトですか。その巨悪組織ATOはマフィアか何かの組織ですか?」
「いえ、もっと大きな、権力、体制までも牛耳っている集団だと思われます」
「と、言いますと?」
「内部告発者の語ってくれた経緯から説明します。現在、ほんのわずかですが、テレパシーの覚醒した人が現れています。彼らが勢力を持つと今まで大衆の無知に付け込んで甘い汁を吸ってた有産階級や権力階級の汚い手口が明らかになってしまう。さらに本当の平等意識、博愛思想へと続く意識の大変革が起きてしまう。
自分の富を守りたい有産階級や権益を守りたい権力階級としては、この覚醒を絶対に阻止したいんですよ」
サイイドは率直に疑問を投げかけた。
「はあ、ちょっと聞いても実感の湧かない話ですね」
「そもそもは冷戦時代にアメリカとソ連で密かに行われていたテレパシー研究合戦が始まりのようです。そのおかげで、巨悪組織ATOはまだ誰も知らない、テレパシーの影響について独占的な情報を持っているんです。
とにかく何もせずに自然に任せると、近い将来に現在の体制が崩壊するようなテレパシーによる大変革が急に起きるんでしょう」
「それと誘拐された三人はどう結びついてくるんですか?」
「巨悪組織ATOは脳内に電子チップを埋め込みナノ技術で意識を制御する実験を既に行っているんです。それはまずイルカで始まり、人間にも実験が行われています」
「それはひどいですね」
「そうなんです。ATOの研究所に侵入して一時拘束された私の脳と研究所で実験されていたイルカの脳から実際に意識統御チップを取り出し、イルカの中にあったチップからは内部告発のビデオファイルを見つけました。
そこで、アランがそのファイルをネットとマスコミに流そうとしたんです。しかし、逆にATOがハルバート博士の研究所を奇襲し内部告発の物的証拠を奪い、博士と夫人を拉致したんです。連絡が途絶えたアランも彼らの手中でしょう」
「本当なら大変なことですよ! あ、失礼。では早速、ビデオを確認させてもらっていいですか?」
「これです」
ルークがデジタルオーディオプレーヤーを差し出した。
「内部告発のビデオはたしか奪われたんですよね。これはどこから入手したビデオになりますか?」
「私が研究所に侵入した時にやつらのデータベースから咄嗟に机にあったオーディオプレーヤーにコピーしたんです。それを特殊な方法で対価を払って入手したものです。そこに保存されてたファイルになります」
サイイドはそれをノートパソコンにつないだ。
タッチパネルで問題のファイルを探してクリックするとプレーヤーが起動する。
ルークは、イルカの脳に意識統御チップを埋め込むシーンを予想して説明を始めようと意気込んだ。
が、そのシーンは現れなかった。
代わりに、そこにはプロジェクターを前にきれいなフランス人女性がイルカの迷泳現象について解説しているシーンが映し出された。
ルークの顔が引き攣った。
「これですか?」
「こんなバカな」
「どうかしたんですか?」
「ファイルの中身が入れ替わったんです。でもきちんと確かめたんですよ。こんなことありえない」
「もう一度ファイルから探してみましょうか?」
ルークはデジタルオーディオプレーヤーの中身を確認してみたが、そこにあるビデオファイルは確認済みのひとつのみで間違えようがなかった。
「バックアップがあるので、ちょっと電話を借ります」
ルークはチョウ医師に電話してノートパソコンを開いてもらった。
『そのパソコンのDドライブを開いてほしいんです。
そこに新しいフォルダーがあるでしょ。それをクリックして』
『クリックしたら、パスワードを求めてきた』
『ええ、ハルバート博士の誕生日は知ってますか?』
『知ってるよ、俺より二ヶ月と三日遅いんだ』
『その誕生日の一桁目をカットした六桁です』
『オーケー、今やってみる、これを入れて、開けたよ』
『開いたらそこにある一番大きいファイルをクリックして下さい』
『あ、映像が出た、始まったぞ。
エーと、ブロンドの女性がプロジェクターに映ったイルカについて説明している。
これって昼に見たのと違うじゃないか』
『……わかりました。もういいです』
ルークは青ざめて受話器を置いた。
「どうでした?」
サイイドに聞かれてルークは首を左右に振った。
「バックアップも入れ替わってました」
「……そうですか、残念です」
サイイドも視線を落とした。
「いや、午前中に三人で内容を確認した後は、僕がずっとポケットに入れてましたから、絶対、誰も触ってないんです」
ルークが言うと、サイイドは頷いた。
「ルークさんの話が真実としたら、その巨悪組織はおそらく元のオリジナルがあったパソコンを完璧に監視していて、記録からデジタルオーディオプレーヤーにコピーされたことに気づいていたのでしょう。それが設定した再生回数に達すると、ビデオが削除されて別のファイルに自動的に入れ替わるように細工しておくんです。
悪意のある高度なパソコンウィルスに関して、そういう手の込んだことをする例を聞いたことがあります」
「なんてことだ、せっかくの証拠が」
ルークはテーブルを拳で叩いた。
「手の込んだソフト的な悪戯ですが、貴方の信用を失墜させ希望を奪うにはとても効果的です」
「悔しいです、こんなこと」
ルークが憤りを堪えながら言うと、サイイドも頷いた。
「私もあなたがわざわざ、ここまで来て恥をさらして我々を騙すとは思えません。が、証拠がない以上、番組としては取り上げられません。残念ですが」
そこでルークは食い下がった。
「お願いします。なんとかお宅の取材力で調査できませんか?」
サイイドは手のひらを止めるように立てた。
「それはちょっと無理ですよ」
「たった今、拉致された三人の命が失われるかもしれない、大変危うい状況なんですよ」
「そう言われても、証拠がなくては上を説得できないです」
「あんたにジャーナリストの正義感はないんですか?」
ルークは思わずサイイドの腕を掴んでいた。サイイドは悲しそうな顔をしてルークの手をトントンと叩いた
「ルーク、気持ちはわかりますよ。しかし、冷静になって下さい。私としては何も確証がないネタの取材をして番組に穴を開ける危険を冒すわけにはいかないんですよ」
全くサイイドの言う通りだ。ルークは頷いて素直にあやまった。
「すみません、取り乱してしまって失礼なことして」
「いえ、お気持ちはわかります」
立ち上がったサイイドはルークの肩に手をあてて言った。
「正義感もゼロというわけではないので、少しでも何かの証拠が手に入りそうになったらまた連絡下さい」
「わかりました」
「残念ですが、今日のところはこれでお引き取りください」
「ありがとう」
ルークは日本人の挨拶のように頭を垂れてスタジオを後にした。
つづく
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