改訂版ドルフィン・ジャンプ10 DDP研究所

改訂版ドルフィン・ジャンプ全29章 目次です

ドルフィン表紙

 

  10 DDP研究所

 翌日の昼、ルークはスマホを取り出すとカノンにメールを送った。

『お姫様、どうだい体調は?』
『いい感じ。おじさんの調査は?』
『おじさんじゃないだろ』
『面倒ねえ。お兄さん、今どこ?』
『昨日メールしたイルカの検診をする研究所、ドルフィン・デベロップ・プロジェクト略してDDP研究所から50メートル離れた地点だよ。DDP研究所は芝生の庭が広くて、黒いガラス張りの三階建てで奥の方に体育館みたいな建物が見える。イルカのプールがあるのかもしれない。シリコンバレーの大成功したIT企業みたいにきれいなビルだ』
『気をつけて、相手は悪い人たちかもしれないんだから、絶対、油断しないで』
『大丈夫、俺はプロの諜報員だよ。じゃあまた』
 この研究所の総務にはさっきカマをかけてロバートと名指しで電話してみた。すると同じ名前の者が二人いてターナーかグティレスと聞かれてグティレスを指名した。
 彼に医療器械の営業のふりをして会えないかと頼んだが、答えはノーだ。
 しかし、突撃あるのみだ。
 パンフレットはネットで集めたページを適当に切り貼りしてそれらしく作ったものを既に用意してある。
 
 門は開け放たれていたので、ルークは建物の玄関に入った。
 建物への金のかけ方からして受付のデスクには金ぴかのロゴマークを背にした美人の受付嬢がいるんだろうなと想像してたが、その想像は裏切られた。
 ガラスの扉をあけると内部はロゴマークもない殺風景な灰色の壁で、受付のデスクで出迎えたのは制服を着たいかつい中年の警備員だ。腹が突き出て制服の合わせ目から下の灰色のシャツが覗いている。
「どちらに御用ですか?」
 ルークは手を差し出して言う。
「あ、はい、私、CNメディカルのケニー・リードマンと言います」
 警備員は握手に応じない。
「こちらで医療用器械のご利用があると聞きまして。是非、私どもの製品もご検討いただければと伺いました。担当の方にお会いしたいのですが」
「お約束は?」
 中年の警備員は尋問のようだ。
「先ほど、ロバート・グティレスさんに電話させていただきました」
「ちょっとお待ち下さい」
 警備員は内線電話をかけると、険しい表情になってルークを見つめた。
「電話でお断りしたと言ってますが」
「ええ、ええ。たまたま近くを通りましたので、ちょっとパンフレットだけでも受け取っていただければと思いまして。お願いします」
「申し訳ありません。当研究所ではお約束のない方とは、絶対に、絶対にお会いしない規則なんです。お引き取りください」
 警備員は絶対にと二度繰り返して強調した。
「そこをなんとか。パンフレットを渡すだけでいいですから」
「お引き取りください」
「お願いしますよ」
「……」
 中年の警備員が無言で立ち上がると脇のドアから若い黒人の警備員も出てきた。
「すみやかに敷地から出てください」
「そこをなんとか」
「これは警告です、すみやかに立ち去りなさい。さもないと、貴方を不法侵入の現行犯として逮捕します。法律に基づいた合法的な逮捕です。我々には自衛権を行使するオプションもあります」
「自衛権行使のオプション!」
 ルークはびびった。その法律用語は武力制圧を意味し、射殺まで含む。しかも不法侵入に対する自衛権行使は罪に問われないのだ。
 若い警備員は警棒を伸ばし、中年の方は腰のホルダーの拳銃に手をかけた。
 営業してればいろんな客がいるが、逮捕警告に拳銃までちらつかされたのはこれが初めてだ。しかし、ここまでの過剰な応対は、かえって不自然な印象を受ける。
「わかりました、出ます。今、出ますよ」
 ルークは追い立てられて門の外に駆け出た。

  ◇
 
 あの警備の様子からして、夜間のセキュリティー装置の突破は本格的なプロの装置がなければ難しいだろう。
 侵入するなら、やはり昼のうちに従業員のふりをして堂々と行く方がまだいい。
 なあに万が一捕まったとしても、イルカの研究が凶悪な組織に結びついている可能性はまずない。おそらく自衛権の行使なんてないだろうし、警察に突き出されても始末書を取られるぐらいで済むに違いない。
 とにかく恐ろしい陰謀があると思い込んでいるカノンには悪いが、それが落としどころだろう。だからといって何も調べないでイルカを逃がすのはダメだと言えば勘の鋭いカノンには見透かされる気がする。
 ルークはとりあえず最後まで調べる覚悟で、車に戻るとスーツをしまいウインドブレーカーを羽織り、リュックを背負って、研究所の方向に引き返した。昼休みはもう全部潰したが自分の営業の時間はあまり潰したくないから急いだ。

 さすがに警備員が監視している正面玄関はもう使えない。
 ルークはDDP研究所の裏手の道路を歩いて、塀の隙間から塀の向こうが駐車場だと確認し、塀の上に警報装置の線などがないのを確かめた。
 今、来た道を引き返しながらルークは路上に車や人気のないのを見計らって、塀に飛びつき向こう側に飛び降りた。
 メタリックな紺色のワンボックスの陰にうずくまったルークは、リュックにウインドブレーカーを収め、白衣を取り出して羽織る。白衣というのは多くの研究施設で通用する便利な制服だ。胸に用意しておいた適当な名前と番号を書いた特別許可のIDカードをクリップで留めるだけで、いよいよ関係者らしく見えるから不思議だ。

 ルークは研究室の裏の通用扉を見つけ歩いてゆくと、その前で立ち止まった。
 そこには予想通り認証装置が取り付けられていて、ルークにはパスできない。監視カメラは2メートル頭上にある。
 ルークはドアと監視カメラに背を向けると、ポケットから煙草を取り出し、いかにも休憩で吸ってるように見せかけながら、扉のロックが外れる音を待った。

 何分か経ってその瞬間が訪れた。
 ロックが外れる音がするやルークはすぐドアノブを掴み「あ」と驚いたふりをする。
「あ、失礼」
 男は三十代半ばで細長い顔に豊かな髪を真ん中から分けていた。
「ロバート・グティレスさんはもう帰ってますかね?」
 さっき電話で話した相手なわけだが、セクションが違うと顔ははっきりわからなくても名前はおぼろに聞いている可能性が高い。すると、その名前を出すだけで顔を知らないルークを怪しむ気持ちが一挙に失せる。
「いや、ちょっとわかんないすね」
 ルークはその男の名札がダニエルであることと所属部署がデータ管理課であることを記憶に刻みつけた。
「どうも」
 あっさりと建物の中に入ることに成功したルークは、スパイ映画の登場人物になったような興奮を覚えていた。

  ◇

 データ管理課は二階の奥にあった。
 おそるおそる部屋に入ったが、個人のデスクはパーテーションでしっかり仕切られていて、皆、自分の作業に集中しているので振り返る者もなく見つかる心配はない。
 ルークは空いているデスクを探し出してデスクまわりを眺めた。
 するとモニターの横に、さっきすれ違ったダニエルとその妻子が並んで微笑んでいる写真があった。
 ルークは椅子に座るとパソコンを操作してデータのフォルダーを開きにかかる。
 四角い枠が立ち上がりパスワード入力を促される。
 このセキュリティーの一番の問題点は、発行されるパスワードが無意味で桁数が多いほど、デスクの周辺にパスワードのメモを残してしまうことだ。
 ルークは、ダニエルの写真を裏返し、モニターの周囲を見回し、アナログの時計と、ボールペンを手にとってパスワードを探した。
 机の引き出しを開けると、鉛筆、消しゴムと調べて、一番奥にあった定規を持ちひっくり返すと、裏面に12桁の数字とアルファベットがメモしてあった。
 ルークは小さな声で(ビンゴ!)と呟いて、データフォルダーに侵入した。

 そこにはデイドリームプロジェクト、つまり白昼夢計画というタイトルがあり、矢と月桂樹を掴んだ鷲が大きな三角形で囲まれた画像がついていた。ルークはふと疑問に思う。合衆国の印璽のような画像を使うのは自分たちがその権力の側にあることを誇示したいためかもしれない。
 嫌な予感がひとつ生まれた。
 研究所の名前のDDPは本当はデイドリームプロジェクトの略かもしれない。
 クリックするとドルフィンとヒューマンのボタンが並ぶ。
 ルークはドルフィンをクリックして日付が一番新しいフォルダーを開いた。
(ちょろいぜ)
 呟いてルークは、そこに並んだ数十の動画ファイルのひとつを開いた。
 すると、イルカの頭がメスで1センチほど切り開かれて、数ミリの電子チップが埋め込まれる様子が映し出される。
 おいおい、これはなんだ。
 ルークの胸にまたまた嫌な予感が生まれる。
 カノンの心配は本当かもしれないぞ。

 ルークは日付と実験記録がキャプションとなった次の動画ファイルを開いた。
 そこにはプールでゆったりと泳ぐイルカとそれを見守る白衣の男二人が映っている。
「よし、ではアップカーブ発振!」
「10、20、30」
 白衣の男がラジコンのコントローラーらしきレバーを操作すると、イルカは急に激しく泳ぎ始め、ジャンプを繰り返し、さらにはプールの壁に体当たりを始めた。
「よおし、いい反応が出たぞ!」
「70、80、90です」
 イルカの体当たりは激しさを増し傷を負ったらしく血が流れた。見ているルークは胸の奥が震えるのを感じる。

「よし、ではダウンカーブ発振!」
「マイナス20、マイナス30、マイナス40」
 すると今度は一転してイルカの動きが止まり、プールの底に沈む。
「マイナス70、マイナス80、マイナス90」
 イルカは仰向けになって力なく浮いてしまう。
 大変だぞ、これはイルカの意識や感情をコントロールする虐待実験なんだ。
 ルークの嫌な予感は黒い雪だるまのようにどんどん膨らみ始めた。カノンの言う通りあのイルカのマックスはここで頭に電子チップを入れられて逃げ出して来たのかもしれない。それで今も追われているのかもしれない。
 よし、とにかく証拠だ。
 ルークはUSBメモリーを取り出してスロットに差し込む時、一瞬ためらった。記録された実験が極秘の虐待実験であれば、セキュリティーはかなりのものだろう。当然、このフォルダーへのアクセスと操作が全て監視されている可能性は高い。
 構うもんか。
 ルークは自分のUSBメモリーをスロットに差し込み、映像ファイルをコピーした。その時、もっと恐ろしいことに気づいた。
 待てよ、さっき扉ページの次にヒューマンて項目もあったぞ、まさか人間にもこの虐待実験をしたのか……。
 ルークはマウスを操作しボタンが並んでいるページに引き返し、震える手でヒューマンのフォルダーを開いた。

つづく