遊園地ジャック

コーヒーカップ

 

 息が出来ない。門村は布団の上で動けなくなっていた。
 意識はあるのだが、体を動かそうとしても動かせないのだ。
(殺られるとこうなるのだな)
 やばいなと思ってるうちに、次第にサイレンが近付きパトカーが止まる音がした。
 機動捜査隊だな、マル害の立場になってみると案外早いな。
 誰が通報したんだ?
 あ、そうだそうだ、前さんだ。前さんと電話で話してるうちに誰かに後ろからバットみたいなもので殴られて首が折れたんだ。

 前島は門村と同期に警察学校へ入って同じ所轄の同じ交番に配属された。刑事志望だった二人は当番時も非番時も情報を交換し、刑事の腕を磨くべく職務質問のアプローチを多角的に研究した。当然、対象は犯罪者とは限らないわけだが、その場合にも相手にこの警察官は親しみやすい、話しかけやすいという雰囲気を作ることに努める。意識としては自分専属の情報提供者を育てるつもりで対等な目線で質問するのだ。すると普通ならわざわざ申告しない些末な情報も得られるようになる。その殆どは気に留める必要もない情報なのだが、その千に一つ、万に一つに犯罪の手掛かりが残っており、犯人につながる可能性があるのだ。
 実際、職質の研究の成果が前島と門村の刑事採用に大きく貢献したのだった。
 今は前島は三鷹署、門村は荒川署の刑事課に勤め、いずれは本店と呼ばれる警視庁の捜査一課に入りたいと念願している。
 気が付くと機動捜査隊の刑事が部屋の中に入ってきたらしく門村の背中側で呟いた。
「ふうん、後ろから首をひと突きだ」
 するともう一人の声がした。
「あっ、門村」
「どうした? 知り合いか?」
「ええ、初任の地域課で一緒だった男です」
(えっ、その声は前さん、なぜ所轄の違うこんなところに!)
「大方、久しぶりの休みではめを外してどこかで酔い潰れたんでしょう」
(ひどいじゃないですか、前さんの勧めた店に行ったのに)
 門村は振り返ろうとしたが首が痛くて1ミリも動かせない。そこで急に気付いた。
(あれ、なぜ死んだのに首が痛いんだ)
 そこで瞼を開くことが出来た。今のは夢だったようだ。もう夜明けじゃないか。そうかあんまり久々にこの寝床で寝て、不自然な寝返ったかで寝違えてしまったようだ。
 それにしても休日の夢の中まで警察の世界から抜けられないなんて、さすがにうんざりだ。
 門村は立ち上がって痛み止めの湿布シートを首に貼ると、もう一度寝床に入った。
 なにしろ久々の休日なんだから、たっぷり寝てやる。

 

  ◇

 再び門村が目を開けると朝陽を浴びた部屋が暑くなりだしている。門村はエアコンのリモコンを手探りしてスイッチを入れた。そして一ヶ月ぶりの休日を布団の中でごろごろ過ごす幸せを噛み締めていた。幸い首の痛みは湿布でだいぶ緩和されてきている。
 門村は布団の中で寝疲れした体を時々ごりごりとひねりながら12時まで贅沢にぬくぬくするぞと決めた。

 と、唐突に電話が鳴った。
 門村の部屋についてる固定電話は警電、つまり警察専用回線だ。
 もーっ、こっちは休みだぞ。労働基準局に訴えてやる。
 門村は脳内で罵りながら警電の受話器を持ち上げ、耳につけた瞬間には真面目な声になる。
「はい、門村です」
「非番のところすまんな。人質立て篭もりだ。すぐ現場に来い」
「了解」
 非番じゃない、休みだよ。門村は受話器を置いてから虚しく反論した。
 それから数秒布団を未練がましく眺めた後、意を決して布団を丸めて一本背負いで隅に片付けた。
 ワイシャツとズボンを着て、スーツを羽織り、林檎に齧りついたまま、受令機のイヤホンを耳に突っ込む。そして玄関を飛び出すと、他の部屋からも誰かが駆け出してる音がする。団地みたいな寮の階段を賭け降りた門村は、隣の出口から刑事課の先輩須貝刑事が出て来るのに会釈する。
「よっ、今日も貧乏くじの大当たりだな」
「これをまとめると宝くじ1等になりますか?」
「そんな事があれば刑事から億万長者がごろごろだな」
 二人は車道に数歩飛び出て反対車線のタクシーを止めて飛び乗った。

 人質立て篭もりなんて東京都内でもそうそうあるもんじゃない。耳の受令機の無線では署の無線指令と警視庁の無線指令の声がまるでテロでも起きたかのようにがなり合っている。それで大体の状況は掴めた。
 場所はあらかわ遊園という区営のファミリー向け遊園地で、一見してヤクザ風のサングラスの男が女児を連れて遊具のコーヒーカップに乗り込んだというもの。
 これだけならまだ事件性は希薄だが、係員や居合わせた客は女児が「知らないおじちゃん」と何度も呼んでいるのを聞いたという。
 そこで係員はこれは誘拐事件だと直感、コーヒーカップを止めてヤクザ風に「女の子を離せ」と言ったのだが、ヤクザ風は「死んでも離さない、カップも二度と止めるな」と言い返してきて、仕方なく運転を再開したという。

 無線が更に続報を入れてくる。
「尚、マル被(被疑者)にあってはアルコールで酔っている状態。ジャケットの下にタオルに包んだダイナマイトらしき棒状のものを四、五本隠し持っている模様」
 門村は須貝刑事と「やばいすね」と顔を見合わせた。

 ◇

 現場に着くと、既に遊園地の駐車場から黄色い規制線のテープで仕切られて警視庁捜査一課第一特殊犯捜査のバンを筆頭に、パトカー、覆面車が十数台連なっていた。
 立番の制服警察官に挙手の敬礼をして規制線をくぐった門村たちは「すみません」と到着を知らせて、捜査一課の覆面指揮車のボンネットを囲む本庁の赤バッジの刑事たちをチラ見しながら我が荒川区尾久署のバッジなし刑事たちの列に加わる。

 そこで犯人と交渉してきたらしい本庁の刑事が険しい眼つきで報告を始めた。
「マル被は携帯電話は所持しておらず、交渉用に貸そうと言っても突っぱねました。さらに要求を訊ねたところ、マル被が運転手を要求してきました」
 本庁特殊犯の係長が声を荒げた。
「タクシーを用意しろという意味か?」
「それが、私がタクシーを手配しろということかと訊ねたところ、いや、このコーヒーカップの運転手に決まってるだろ、ボケ、と答えました」
 刑事たちの目が点になった。
 本庁の班長らしき警部補が聞き返す。
「コーヒーカップなんて固定されてんだろ、運転手なんて必要ないだろ」
「まあ、一応テーブルをまわすと回転するので、強いて言えばそういう役目かと」
 本庁特殊犯の係長が鼻を鳴らした。
「ふん、ヤクでもやって頭が腐ってるんじゃないのか」
「もしかしたら酔っ払って、自分が何しでかしてるか自覚がないかもしれませんな」

 特殊犯の係長がまとめにかかる。
「とにかく人質の救出が第一だ。ここはマル被の要求に沿って運転手を出してマル被に隙が出るのを狙おう。うちはコーヒーカップ運転台の係員出しているんだから、運転手は所轄さんから出してもらおうか」
 本庁特殊犯の係長のずるい提案に所轄の尾久署刑事1課長は「はい」と頷くしかない。犯人がダイナマイトを持ってる以上、コーヒーカップの運転手は最も危険な役目になる。そんな危ない役を貴重な本庁の刑事にさせられないというわけだろう。
 わが刑事1課長は部下の顔をちらっと見渡した。須貝刑事は微妙に視線を外す。こういう場面は名乗り出る人間がいなければ、結局独身の若い刑事が指名されるのが暗黙のルールだ。つまり門村が当たる確率は3分の1だ。その中で一番若い門村刑事は覚悟を決めてそっと手を挙げた。
「お、門村、やってくれるか」
 そう言うわが刑事1課長の目が少し潤んでるような気がする。ま、指名するプレッシャーから逃れられたのが嬉しいという単純な理由かもしれないが。

 本庁特殊犯の係長が早速門村刑事に指示を出す。
「うん、では君。まずマル被の所持する凶器、爆弾を全て確認してほしい。暗号は爆弾は赤、拳銃は白、刃物は黄色だ、これをチューリップの唄で教えろ」
「えっ、チューリップの唄って幼稚園児が唄うやつですか?」 
「ああ、女児に歌ってやるように装うんだ。爆弾だけなら、並んだ並んだの後に赤、赤、赤だ。それなら自然だろ」
「おかしくありませんか?」
 門村刑事の問いには答えずに本庁特殊犯の係長は言った。
「とにかく君が一番近くで凶器を確認できるんだから頼んだぞ」
「はあ」
「それから君はマル被の名前、係累について聞き出せ」
「ケールイ?」
「親とか妻とか、他に義兄弟とか親分とかマル被の心の拠り所となり得る人物だ」
「了解。聞き出します」
「うむ。それから事態が切羽詰って射殺を要求する場合の暗号はちゃんとはっきり発音してハックションだ。配置された狙撃手が直ちにマル被を射殺するから君はくしゃみと共に低い姿勢を取りなんとしても女児を保護しろ」
「わかりまし、あっ、あの万が一本当のくしゃみが出そうな時はどうしたら?」
「本当のくしゃみが出る時はヘクションとかヒクションにして明確に区別しろ」
「は、了解です」
 門村刑事はやれやれと思った。もしかしたら今日殉職するかもしれないな。そう思って門村は打ち消した。いや、今日は休みだったんだぞ。休みに死んでたまるか。

 ◇

 門村刑事は両手を挙げた状態でゆっくりと遊具のコーヒーカップに歩み寄った。大き目のTシャツの下には防刃防弾ベストを着用しているのがバレバレだが、危険な運転手なのだからそれがばれても問題ないだろうという判断だ。
 カップの舞台は大きなポットのまわりをゆっくりと回転していて、その中のひとつのカップだけに客が、つまりヤクザ風の麻のジャケットのサングラス男と幼稚園ぐらいの目のぱっちりした女児が乗っている。
「もっとー、もっとー」
 女児は無邪気にはしゃいでいて、赤ら顔のヤクザ風は座席に背を凭れ掛けている。
「こんにちは。運転手です。そちらに行ってよいですか?」
 門村刑事が両手を挙げたまま訊ねるとヤクザ風は頷いた。
「ああ、こっちへ来て。そんなに速くないから回ったままでも来れるだろう」
 ヤクザ風の男の案外まともな口調に門村刑事は少し安堵してた。それほど酔ってはいないようだ。
 門村刑事はカップの回転舞台の外側の手すりをまたいだ。そして件のカップが近づくのを見計らって素早く駆けて、カップの縁にしがみつき、座席に乗り込んだ。
「どうもお待たせしました」
「ようこそ、コーヒーカップへ」
 犯人はふざけたつもりなのかそう言った。
「それで、どう運転すればいいんですか?」
「ああ、あまり速く回らないように押さえててくれるか」
「わかりました」
 門村刑事が答えると女児が笑みを浮かべてテーブルをまわした。
 それで門村ははしゃいだ女児が回すテーブルを止める役目をさせられるのだと自分の役目に気付いた。
「それにしても暑いですね?」
「まったくだ」
「あのう、私は門村ていうんです。旦那さんはなんてお名前なんですか?」
「俺は筒崎ていうんだ。筒崎建夫。あんた下の名は?」
「筒崎建夫さんですか。私は門村修二です」
 これで隠しマイクを通してわかった名前が直ちにA号(前科)照会されてるだろう。
「このお嬢ちゃんはどこで見つけたんですか?」
 門村刑事が訊ねると筒崎は声を荒げた。
「見つけたんじゃない。俺の娘だ」
 ここで女児にももう一度確かめたいところだが、もう一度「知らないおじちゃん」と答えられて刺激してはまずいだろう。名前を聞いて苗字が違ってもやはり筒崎は逆上するかもしれない。
 門村刑事は凶器を隠してないか素早く筒崎を見詰めたが、膝の上にタオルに包まれた何かがあるのはわかるが、中身は目視はできない。
 ちらりと運転小屋の制服の係員に変装した本庁の刑事を見遣る。彼はいかにも手持ち無沙汰という風に、操作盤を見ながら鼻の下を指でこすった。そのままという合図だ。

「煙草は吸わないんですか?」
 門村はもし吸うなら吸わせた方が落ち着くと思って聞いたのだが、筒崎は否定した。
「ああ、娘に悪いからな」
「普段は吸ってて今は吸わないて意味ですか?」
「いや、吸わん」
 それからしばらく趣味は何とか、釣りはするとか、野球やサッカーの話題を振ったり、海と山ならどちらに行くかなど他愛ない雑談で時間を潰しながら、門村刑事は親や妻についても尋ねたが、そういう質問ははぐらかされて答えは得られなかった。係員の本庁刑事からのサインも変わりない。しかし、こうしてる間もこの遊園地のどこかに狙撃手が配備されていて筒崎に照準を当てたまま指だけをトリガーからずらし、じっと気の遠くなるような待機時間を緊張とともに過ごしているのだ。
 いつの間にか3時をすぎて、女児もはしゃぎ疲れたらしく眠り込んだ。しかし、あろうことか知らないおじちゃんの胸を枕にしがみつくようにすやすやと寝てしまったので却って警察としては手出しができない。
  
 突然、筒崎が微笑んで門村刑事に言った。
「運転手さん、この乗り物で3年前に行ってくれないか?」
「そ、それは……」
 門村刑事は返事に窮した。犯人との交渉で出来ないと明言して相手を否定するのはタブーなのだ。
「無理だよな。わかってる。
 3年前は、俺だってここに来る普通の家族連れと同じだったんだ。ところが突然に会社を解雇されたんだ。外人が社長になって半年も経たないうちにだ。16年も勤めたんだぞ。それが雀の涙みたいな端た金でクビだ」
「そうでしたか」
「仕方なくずっと職安通いさ。だがある日、離婚届けを突きつけられた。女房からもクビにされたんだ、ひでえ話だ」
「それは、なんとも、お気の毒でした」

 その時、コーヒーカップに向かって透明の盾を持った刑事たちが近づいて来て20メートル手前で止まった。刑事たちにかばわれてその背後から30代半ばの女性が顔を見せてメガホンで叫んだ。
「あなた、何て馬鹿なこと」
 そこまで叫んだ女は刺激しないようにと傍らの本庁の警部補に注意されたらしく、改めて話しかける。
「あなた、もうたっぷり過ごしたでしょ。約束通りさやかを返して頂戴」
 そこで筒崎は怒鳴った。
「何で離れたところからスピーカーで怒鳴ってんだ。近くに来れば普通に返してやる」
 そこで刑事と元妻たちはさらに5メートルほど近づいて止まった。

「ちゃんと普通に話せるところまで来いよ」
 筒崎は怒鳴ったが、それ以上近づいて来ない。万が一の場合、それ以上接近するのは危険だと思われているのだ。
 警察に筒崎の怒鳴り声がかえって近づいたらダイナマイトを爆発させる気かもしれないと受け取られている。
 しかし、と門村刑事は思った。
 元妻が約束と言ったことからも、そもそも筒崎は誘拐したのではなさそうだし、立て篭もったわけでもない。娘が父親から無理じいされたり、暴力を振るわれた形跡も見当たらない。単に係員やまわりの客が筒崎はヤクザ風だし、女児も知らないおじちゃんと呼んだから女児を誘拐したのに違いないと思い込んで通報しただけではないか。
 ではなぜ娘は父親を「知らないおじちゃん」と呼んだのか? 
 ダイナマイトは果たして本物なのか?

 門村刑事は訊ねた。
「筒崎さん、今日はさやかちゃんとの面会日だったんですね?」
「そうだ、第3日曜日の9時から3時が俺のささやかな幸せ、唯一の生きがいだ」
「そうでしたか」
 毎月巡るささやかな幸せ。どん底にあろうと筒崎がわざわざそれを娘ごと破滅させるとは思えなかった。
 だが今、正に筒崎は警察に疑われて、狙撃手に照準を当てられている。もしかしたらもう一度怒鳴ったら射殺されるかもしれないのだ。

 門村刑事は決心して筒崎が怒鳴る前に声を張り上げて歌った。
「咲いた、咲いた、チューリップの花がー♪」
 さやかちゃんが目をこすり起き出した。
「並んだ、並んだ、赤、白、黄色」 
 筒崎が複数の凶器を持ってると伝われば、死角にある凶器がさやかちゃんにあてがわれているかもしれない。そうとわかれば警察もいきなり射殺はできない筈だと門村は思いついたのだ。さやかちゃんも頭を傾げて手を肩で交差させて歌い出した。
「どの花見てもきれいだな~♪」
 微笑む筒崎の一瞬の隙を突いて、門村刑事は筒崎の膝からタオルの包みを取り上げた。
 それでも筒崎は別に慌てる様子もなく、娘の歌に眼を細め微笑み続けている。
「咲いた、咲いた、チューリップの花が♪ 並んだ、並んだ、赤、白、黄色♪」
 
 門村刑事がタオルを開くと、そこにあったのは空になったのが4本とまだ食べてないシャーベットが2本の計6本のチューブだ。
「タオルの中身はシャーベットだ。そもそも事件じゃなかったんだ、全員撤収しろ」
 門村刑事は隠しマイクに向けて怒鳴ると、コーヒーカップを飛び降りて元妻に駆け寄った。
 そして門村刑事は元妻の肩を掴んで言ってやった。
「あんたね、本当の父親を、知らないおじちゃんだなんて、そんなふうに呼ばせる教育をしていいのか?
 今はどん底かもしれないけど、一度は生涯まで誓った相手がたまに会った娘に知らないおじちゃんと呼ばれたら一体どんなに傷つくか、それを娘が将来思い返してどんなに苦しむか考えられないのか?
 それが想像できないなら、あんた、人間じゃないぞ」
 元妻は目線を伏せて唇を噛んだ。

 門村の目に後方で本庁特殊犯の係長にぺこぺこ頭を下げているわが刑事1課長の姿が見えた。振り返ると娘は今なお父親の膝で手振りをつけてチューリップの唄を歌い続けている。    了