改訂版ドルフィン・ジャンプの21 闇の死闘

改訂版ドルフィン・ジャンプ全29章 目次です

ドルフィン表紙


  21 闇の死闘

 大統領首席補佐官のハリソンが国家安全保障局長官ダグラス・オブライエン中将を従えて歩いてゆくとちょうど執務室の扉が開いてワンダリー大統領が出てくるのが見えた。
「大統領」
 首席補佐官が声をかけると大統領は振り向いて頷いた。
「やあハリソン、どうだ一緒にランチを食いに行くか? 野菜サラダのジャングルにスペアリブが潜んでるらしい。グリーンベレーみたいにだ」
「それは心躍りますな。ただその前に用件をひとつ」
 首席補佐官が笑みを浮かべながら言うと、大統領もダグラスの姿を見て悟った。昨日、大統領から首席補佐官にFEMA捜査の進展を尋ねたのだった。
「ああ、ダグの報告か。よし、ドーナツを頼もう」
 執務室に引き返した大統領はデスクのインターホンで秘書のウィットニーにドーナツを注文した。それからすでにソファに座っている首席補佐官と国家安全保障局長官に向き合って、絨毯に嵌め込まれた鷲の国璽を囲むように座った。

「それでダグ、やつらの尻尾はもう捕まえたか?」
 大統領はダグラスの目を見て聞くと、彼は緊張した声で答えた。
「それがまだ捕らえるには至ってないです」
 首席補佐官がダグラスの答えを補足した。
「これは慎重さとスピードのバランスが要求される作戦です。あまり慎重すぎては敵が準備を整えてしまう。しかし、こちらの攻勢が早すぎたら末端をトカゲの尻尾切りにされて重要な犯人に近づけずに終わってしまう」
 大統領は不満そうに言った。
「進展は何もないと?」
 ダグラスは答える。
「そういうわけではありません。いくつかの地域で疑わしい建物を発見してマークしています。そこには継続的に人間が運び込まれているようです」
「なんのために?」
「その点を捜査中です」
 そこへノックして秘書のウィットニーと助手が入って来た。そしてドーナツの入った箱とコーヒーを載せたトレイを大統領の隣の椅子に乗せた。
「やけに早いな。まさか昨日のドーナツじゃないだろうな?」
 するとウィットニーは少し唇を突き出してから答えた。
「大統領にそんな失礼な物を出すと思います? 毎日、お昼前に30箱注文しているのがたった今届いたんですよ。そのうちスタッフがつまんでって夕方前になくなります」
 大統領は半ば呆れて「なんてやつらだ」と言った。
「ランチに行けない人は助かるんですよ、今日の大統領みたいに」
 ウィットニーが去る後ろ姿をちらりと眺めた大統領はドーナツの箱を掴んでダグラスとハリソンに差し出した。
「ダグ、具体的な行動に着手する予定は?」
「まだ大統領の言われた無害化の前の段階ではありますが、まもなくある地域で証拠固めの作戦が遂行されます」
「どの地域だ?」
 そう聞かれたダグラスは反射的に情報漏洩が大統領執務室であり得るかを考えた。もちろんシークレットサービスによる諜報対策は完全だろうが、今回のターゲットは既に三人の腕利きエージェントを抹殺してる不気味な存在だ。ダグラスは安全策を取ろうと決めて断った。
「それは機密ですので」
「ダグ、私が密告屋に見えるか? 心配するな、ここのセキュリティーは最高だ」
 国家の最高権力者にそこまで言われては答えないわけにはいかない。ダグラスは自ら最高レベルの機密に指定した作戦について明かした。
「いえ、大統領。場所はロサンゼルスです。問題は証拠を掴んだエージェントが無事に帰ってこれるかどうかです。念のため軍の特殊部隊を訓練と告げて投入する手筈になってます」
 大統領は頷いて「成功に期待しよう」と言った。

  ◇
    
 理沙は休みの火曜日にスタイン研究所を訪れた。脳波検査の予定日でもあった。
「キャロル、久しぶり」
 理沙が声をかけるとキャロルが嬉しそうに頷いた。
「リサ、待ってたわ。今日は後で食事に行く約束よ、覚えてる?」
「もちろん」
「美味しいカレーを紹介するわ。その後、イルカとはうまくいってるの?」
 そう聞かれたが、これまであったいろんな出来事を全てキャロルに明かすと話が長くなりすぎる。たぶん一晩中説明しても足りないぐらいだ。だからここは大雑把に話しておこうと理沙は決めた。
「それが大変だったの。信じられないことだけど、人類を精神的に奴隷として支配するためにイルカで意識をコントロールする実験をしてる連中がいるの」
 キャロルは目を大きく瞬いた。
「それ映画の話?」
「いえ、現実よ。ひどい連中なの。それで私のイルカが狙われて、結果としてイルカの一頭は、その、誰かに運び出されて今は水族館にはいないの」
 理沙が言うとキャロルはびっくりした。
「えっ、イルカが攫われたの?」
「そんなところ」
 理沙はハルバート博士のことも言おうかと考えてみたが、そこからの話が長くなりそうで今はスルーしようと決めた。
「それで私はずっと仕事を休んでいるの」
「じゃあ心配ね」
 そう言われて理沙はうっかり聞き返した。
「博士のこと?」
「あなたのイルカよ」
 理沙は慌てて眉間に皺を寄せ辛そうな顔を作って答える。
「あっ、そう、そうなのよ」
「じゃあリサが元気になれるように素敵な音楽をかけてあげる」
「ええ。それが楽しみでここに来るようなものだもの」

 理沙がリクライニングチェアに横たわると、キャロルの選んだパールマン演奏によるグラズノフのバイオリン協奏曲イ短調がスピーカーから流れてきた。
 理沙はようやく心が癒されたように感じ聴き入った。

 まもなくドアが開いてドクター・ケルヴィンが入って来た。
「やあリサ、調子はどうだい?」
 ケルヴィンは椅子を引っ張ってきて理沙と向き合った。
「まあまあです」
「脈を拝見するよ」
 ケルヴィンは理沙の手首を取り、しばらくしてから理沙に言った。
「うん、少し脈が乱れてるな。それに血圧も少し低めのようだ。念のために注射をしてあげよう」
 理沙は聞いた。
「何の注射ですか?」
「栄養とビタミンだよ。食事が偏ってるんじゃないかね?」
 理沙は笑みを浮かべて頷いた。
「お願いします。実は最近落ち着いて食事できてなくて」
「思った通りだ」
 ケルヴィンは理沙の肘の内側を消毒すると点滴の針を刺した。
「どうだい、気分は?」
「ええ」
 理沙は答えようとしながら次第に意識が薄れてしまいそうになる。
「いい、です。けど、なんだか、怖い」
 理沙は意識がふらふらと遠のいてゆくのを感じた。
「うむ、これはいかん」
 ケルヴィンは大声で言った。
「キャロル、隣の病院のERに急患だと電話してくれ。ラルフ、おい、ラルフ、こっちに来てこの患者を隣に運ぶのを手伝ってくれ」
 すぐに事務室にいた男ラルフが駆け足でやって来て理沙をチェアからストレッチャーに乗せ替えた。 
「表より裏口の方が速く病院に行けます」
 ケルヴィンとラルフは理沙を乗せたストレッチャーを押し始めた。その後ろからキャロルが追いかけてリサの顔を覗き込んだ。
「ドクター、私に出来る事は?」
「キャロルは玄関を戸締りしたらもう帰っていいよ。この患者はたぶん軽い貧血だ。たいしたことはないだろうが念のためだ。心配しないでいい」
 キャロルはそう言われて後で見舞いに行かなきゃと考えながら曖昧に頷いた。

  ◇

 その日の記録を書き終えたキャロルは戸締りをする時に理沙のスマホの入ったポーチを簡易金庫に預かっていたのを思い出した。家族が心配してるだろうからもし暗証番号のロックがかかってなければ連絡してあげよう。キャロルは理沙のスマホを開いてみたら、パパ&ママという表示の連絡先は開けるようになっていた。
「ハロー、私はリサの友人キャロルです」
 キャロルが言うと電話から聞いた事もない言語で男の声が響いた。
「何っ? あなたは英語は話せないの? リサが軽い貧血で入院したのよ」
 相手から聞き取れたのは「リサ、プリーズ」というひと言だけだった。
 会話をあきらめたキャロルは理沙のポーチを持ったまま表玄関から出ようとした。
 そこで見知らぬ男が声をかけてきた。ブロンドで紺のスーツ、キャメルカラーのパンツ、身長は185センチぐらいだ。
「キャロルだね」
「ええ。あなたは?」
 男はNSAエージェントのバーンズで、FBIのバッジを見せて名乗った。
「FBIロサンゼルス支局のウォーレンだ。担当してる特別プログラムの女性が夕方ここへ来た筈だと思うんだが教えてくれるかな。名前はたしか、」
 キャロルは理沙から担当についてちらりと聞いたことがあった。
「ああ、リサのことね。こんにちは」
「そうそう、リサは来たよね?」
「もちろん。ただ脳波検査の途中で貧血になったのでドクター・ケルヴィンがついさっき隣のセント・ジョセフ記念病院へ連れて行きました」
「隣の病院へ? 車でかい?」
「いえ。車輪の付いたベッドで病院の裏口に運びました」
「そうか。リサは大丈夫そうだった?」
「たぶん。ドクター・ケルヴィンがそう言ってました。私はこれからお見舞いに寄ってみようかと思うんです」
「じゃあ僕が見舞うほどでもなさそうだね。リサが来たかどうか確かめたかっただけだから僕はこれで失礼するよ。リサによろしく」
「わかったわ」
 キャロルが頷くとバーンズは足早に立ち去った。

  ◇

 セント・ジョセフ記念病院のエレベーターに乗り込んだバーンズは地下二階のボタンを押して静かに深呼吸した。なりすますアーロン・グエンの顔を思い返す。アーロンは現在NSAの保護下に移されてバーンズたちに協力している。整形は自然で本人そっくりだ。問題ない筈だ。
 パターンが50もある合言葉も全て暗記してる。
 エレベーターが地下二階に辿り着くと、バーンズは廊下に誰もいないのを確認してからパネルの「開く」ボタンと「閉じる」ボタンの両方を五秒間押し続けた。すると下部にある操作パネルのカバーロックが外れた。カバーを下ろすとテンキーが現われ、バーンズは六桁の暗証番号を入力してエンターキーを押す。
 するとエレベーターがさらに下降を始めた。
 テンキーパネルのランプが点灯して扉が開くとそこは表向きの最下階よりさらに二階分下に位置する秘密のフロアだ。

 バーンズは廊下を歩いてゆき、ドアの入り口で監視カメラに向いて言う。
「今日はホッブスの当番だろ、調子はどうだい?」
「まあまあだ。IDカードをよく見せて、名前をどうぞ」
 ドアの内側の警備員がスピーカーを通して言ってくる。
 バーンズはIDカードを手で持ち、「遅番のアーロンだよ、アーロン・グエン」と本人の口調を真似して答えた。監視カメラがバーンズの瞳をチェックしているが、本人の虹彩をプリントしたコンタクトレンズを装着しているから問題ない筈だ。
「OK」
 ブザーが鳴り電気ロックが解除され、ドアが開いた。
 防弾チョッキを着て自動小銃を提げた二人の警備員は武装とは裏腹に満面に笑みをたたえて迎えてくれる。前任者は扉の中に入った後に連絡が途絶えてしまった。しかし、まさか合言葉が間違っていることはない筈だ。バーンズは任務中は自分は顔も心もあたかもメドゥーサに見詰められた石膏像なのだと強力にイメージすることにしてる。だから動揺したとしてもそれが表面に現れることはない。
「知ってるか。俺の眼鏡はドイツ製なんだ、カールなんとかってな」
 警備員は眼鏡なんかかけていない。これが合言葉なのだ。対応する言葉にも因果関係や脈絡がない。バーンズは50パターンから符合する合言葉を平静を保って答えてやる。
「うちのフライパンは炒めたベーコンの油がたまっててね」
 警備員が微笑を浮かべる。合言葉の情報が正しかったのだ。
「アーロン、楽しんできな」
 バーンズはキーホルダーと財布をトレイに乗せて、セキュリティーゲートをくぐった。

  ◇

 ゲート奥の内扉を開けると、そこは体育館ほどもある巨大な部屋になっている。
 モニター付きのベッドが15フィート間隔で整然と並んでいる。横に四列、縦に十列。空のベッドもいくつかあるが三十数人の人間が横たわっている。人々はおそらく催眠状態か植物人間状態なのだろう。床ずれを防ぐためのエアーマットのかすかなモーター音が響いている。
 大部屋の右手奥に硝子貼りの管理室があって大部屋全体を一望できる。
 バーンズはそこの更衣室で白衣をまとい出て来ると、パソコンや計器に向かっている数人の職員を見やり「やあ、今日は何か問題はあるかい?」と尋ねる。
 すると一人だけ白衣を着てない背広の職員が頷いて答える。
「特に集中監視が必要なリトマスはいない。先週機能不全になった奴の代わりに新規の女が入ったよ。若い中国人だ」
 すると別の白衣の職員が指摘する。
「いや、あれは日本人だぞ」
「お前、区別がつくのか?」
「区別はつかないけど書類に書いてあっただろ」
「見せてくれ」
 バーンズはバインダーを受け取り書類をめくって眺めた。新規の女の名前は夕方、スタイン研究所に入るところを確認したリサ・ヤマモトだった。拉致被害者を救出してFEMAの陰謀の証拠を確保することが今回のバーンズの任務だ。
「交代の時間までひと回りしてくる」
 バーンズはベッドに手、腕、腰、足をソフトボア付きのベルトで固定されて死んだように眠り続けている人々を歩いて見てまわった。全員が頭にヘッドギヤをしていてベッド脇にある20インチほどの液晶モニターに脳波の波形が動いている。それだけが生きている徴候とも言える。バーンズは予め脳波の見方の講義を受けていたが、殆どの人々が熟睡か深いレム睡眠の波形だった。彼らは強い向精神性薬物でコントロールされているので簡単には起こせないこともわかっている。
 バーンズはアジア系の黒いロングヘアーの女のところで立ち止まった。記憶しているリスト番号からこれがリサ・ヤマモトだと知れた。
 彼女の脳波は浅いレム睡眠を示している。まだ薬物漬けになっていないのだ。
 バーンズは周囲をさりげなく警戒し、彼女の腕をリズミカルに掴み、バインダーを見ているふりをして1フィート離れたら聞こえない小声で囁いた。
「声を出さないで。目を瞬きして答えてくれ。リサ、リサ、声を出さないで起きて。君は今悪い奴らに捕われている。私は君を助けに来たんだ」
 バーンズが繰り返して語りかけると、理沙は小さく唸って瞳を開いた。
「声は出さないで目を瞬いて答えて。君は今悪い奴らに捕まりベッドに拘束されている。私は君を助け出しに来たんだ。わかるかい?」 
 理沙は少し頭を起こし自分を拘束しているベルトを発見し、バーンズに瞬きした。
「必ず助けるから安心して。これからしばらく準備の時間を取った後に私が名前を呼ぶ。そうしたらリサは立ち上がって私と一緒に逃げるんだ。それまで眠ったふりをして待つんだ。いいね?」
 理沙は瞬きした。
 バーンズは頷いて部屋の奥にあるトイレに向かった。

 トイレから帰って来たバーンズは管理室に戻ってきて背広の職員に言った。
「トイレの掃除は誰がやってるんだ。ストックしてる紙がモップを洗うところに落っこちて全部濡れて使えなくなってるぞ。
 とりあえず今夜の分だけ今から上の病院からくすねてくるから階段の扉のロックを外してくれないか?」
「わざわざ階段を使うのか?」
「トイレットペーパーを何個も持ってエレベーターに乗ったら病院の連中に怪しまれるじゃないか。あのエレベーターは病院の警備員も監視してるんだろ?」
「わかった。今、ロックを解除するよ」
「助かる。じゃあ俺は上の病院に調達に行って来る」

  ◇

 バーンズは廊下の奥にある非常階段を上がって先ほどの病院の最下階に辿り着くとトイレに入った。
 そしてストックルームの扉を開いて「これこれ」と呟いてトイレットペーパーを四個手にした。
 ストックルームの天井にある丸い通気口からは細いスコープの先端が垂れていてバーンズは小さくウィンクした。すぐに通気口の枠がそっと外れて、黒い制服の特殊部隊隊員が一人また一人と静かに降り立つ。
 バーンズは最初に降り立った隊員に黙って頷いて手を洗うと唇を引き締めてトイレのドアを開ける。そしてバーンズは階段を下りてゆく。彼の後ろには五メートル置いて12人の特殊部隊隊員が足音を潜めて続いた。
 
  ◇

 バーンズは廊下を歩いてゆき、ドアの入り口で監視カメラに向いて言う。
「病院からトイレットペーパーをくすねて来たよ」
 警備員がスピーカーを通して言ってくる。
「捕まらなかったか、アーロンは盗人の素質があるな」
「そうかもな」
 部屋の向こうで警備員が笑い合う声がした。バーンズは前を向いたまま特殊部隊隊員二名を目の隅に捉えた。その特殊部隊隊員はカメラの死角になる3メートル横でダッシュしようかという体勢で、さらにその後ろから十名の隊員も自動小銃で前後を警戒してる。
「IDカードを見せて、名前をどうぞ」
 バーンズはIDカードを持ち、「アーロン・グエンだ」と答える。
 前回と同様に三秒ほどおいて「OK」と声がかかりブザーが鳴り響き電気ロックが解除され、ドアが開く。
 しかし、ドアの内側に入るのはバーンズではなく投げられた閃光弾だ。
 すかさず二名の特殊部隊隊員がコンパクトな自動小銃を突き入れるように睨む。
 しかし、閃光のため一時的に視力を失ってる筈の警備員の姿はそこにない。赤いレーザーの照準光は閃光弾の煙の中をぐるぐると駆け巡るだけだ。
 バーンズはオートマチック拳銃を両手で顔の横に構えて「どうなってる」と叫んだ。
 二名の特殊部隊隊員はそのまま中に入った。
 それに続いて後方からさらに二名の特殊部隊隊員も突入した。その後からバーンズも一歩室内に踏み込んでみた。
 すると煙の中の床に先に踏み込んだ特殊部隊隊員の靴の裏が見えた。それはぴくりとも動かない。たった今突入した特殊部隊隊員は喉をかきむしってる。
「毒だ!」
 バーンズは口を肘で覆いつつ叫んで廊下に出て扉を閉めた。
 その時、ドアと反対側にあるエレベーターが到着して腕組みした男とヘルメットを被った車椅子の男が現れた。バーンズは腕組みしてサングラスにピラミダル髭をたくわえた男が西地区司令官カークスだとすぐにわかった。
 こちらが攻撃されている以上、こいつを撃つのは正当防衛の範囲だ。
 バーンズはオートマチック拳銃をカークスに向けてぶっ放した。それに続けとばかりに残りの特殊部隊隊員もエレベーターへ向けて自動小銃を連射した。
 しかしカークスの手前の空間に半透明のひびが入ったが、銃弾はカークスには届かず弾き返された。いつの間にかエレベーターの入り口全体が防弾ガラスでガードされているのだ。もちろんロケット砲でもあれば破壊可能だろうが、少数の武装警備員を想定した作戦なので強力な火器は用意していない。
「退却します」
 特殊部隊の隊長は作戦で退却の理由となる想定外の困難に直面した場合だと判断して階段に向けて退却を始めた。
 バーンズも小走りに後ずさりしながら自分に怒鳴った。
「なぜばれたんだ?」
 バーンズはオートマチック拳銃の弾装を交換しながら悔しがった。事前調査では監視カメラはエレベーターと大部屋の入り口にしかない筈だった。

「あきらめて投降しろ」
 エレベーターの方向からカークスが怒鳴った。
「投降すれば鉛の弾ではなく、人間的にサメの牙で死なせてやるぞ」
 カークスが嘲笑するとバーンズは一発だけ撃った。
「無駄弾を撃つようではお前の負けだ」
 バーンズは心の中で「ふざけるな」と言い返し、特殊部隊もカークスの挑発に意識が向いていた。
 しかしその時、バーンズたちから前後に15メートル離れた廊下の天井が突然音もなく下にはみ出し、斜めに出た側面から三丁ずつ機関銃が突き出した。
 次の瞬間、轟音が鳴り響いた。
 バーンズと特殊部隊は想定外の高さの前後からシャワーのように降り注ぐ機関銃の銃弾の雨にさらされた。高い角度からの銃弾は防弾チョッキで守りきれない首や顔面、肩、腰から体内に入り、屈強な男たちの喉から短い呻き声が漏れた。
 轟音が止まり、静寂が戻った。
 
 カークスは廊下まで車椅子を押し出した。そして車椅子に座ってるヘルメット男に血の海に倒れて絶命しているバーンズと特殊部隊隊員たちを眺めさせた。頬のこけた車椅子の男は以前ビデオを作りデイドリームプロジェクトを告発しようとした研究員フィリップだ。
「フィリップ、モルモットにするテストで思いがけずお前の能力が発見されたおかげでお互いに有益な関係になれたな。意識覚醒チップDDM1のおかげでお前は一人前のテレパスに成長した。この潜入捜査官もまさかお前にテレパシーで作戦を読まれているとは死ぬまで想像も出来なかっただろう」
 フィリップは耐えられないのか震える手で目頭と頬骨を押さえた。
「お前は正しい協力をしてる。これでお前の妻と娘も何の心配もなく優雅に暮らせるぞ。後で飯に精神安定剤を入れてやるからな、これからも妻と娘のために頑張るんだ」
 カークスは口端に薄ら笑いを浮かべた。
 
  ◇

 理沙はベッドの上で目を薄く開けてバーンズの声を待ったまま震えていた。
 拳銃一丁の音は乾いた小さな音だというのは知っていた。しかし、今、理沙の耳に聞こえたのはそれよりずっと激しいいくつもの銃声で重いガラガラという振動がこちらの部屋にまで伝わってきたのだ。まもなく入り口の警備室で掃除機のモーターの音がしたかと思うと、警備員が笑いながら出て来た。バーンズの言う救出が失敗に終わったのだと悟った理沙は詩篇17章を囁いた。

 瞳のようにわたしを守り、み翼の陰にわたしを隠し、わたしを虐げる悪しき者から、わたしを囲む恐ろしい敵から、逃がれさせてください。

 しばらくして背広の男が警備室から大部屋に入って来た。理沙は薄目で管理室へ歩いている男を見て愕然として震え出した。ピラミッダル髭で顎がふたつに割れている。ディナークルーズで理沙たちを殺そうとしたあの男だ。
 男は管理室の白衣の職員に案内させて歩いて来た。
「リトマスどもの数値はどうだ?」
「オースリーオアレスで安定してます」
「うむ、新しいリトマスを入れたそうだが」
「あ、はい、入れました」 
 白衣の職員は男を先導してまっすぐ理沙のベッドに向かって来る。理沙は思わず目をきつくつぶったが眠っているふりをした方がまだいいと考えて瞼の力を抜いた。
「この女が昨日入った新規のリトマスです」
「この女……」
 男はそう呟いて理沙の瞼を指先で無理やり開いた。
「久しぶりだな。フフフ」
 理沙は目をこじ開けられたままぶるぶる震えながら男の顔を見せつけられた。
 男は白衣の職員に宣言した。
「この女は俺の司令本部に連れて行くことにする」
「しかし、ドクター・ケルヴィンがずっと追跡してきて能力の高いリトマスだと……」
「こいつはスパイの仲間だ。厳しく尋問する必要がある。すぐ移送の準備だ」
 理沙は恐怖のあまり涙がこぼれるのを止められなかった。男に命令されて白衣の職員は車輪付きベッドを取りに走った。

  ◇

 夜の闇に包まれたサンノゼ総合病院は外来病棟の明かりが消えて、スタッフも減って静まり返っていた。
 チョウ医師が看護師のいない診察室に入ると椅子にかけてるルークに尋ねた。
「どうだい、リサからの連絡はまだないかね?」
 ルークが俯いたまま首を左右に振った。
「全然ありません」
 カノンも診察ベッドに座り萎れた花のようにうなだれている。
「奴らの仕業かもしれんな」
「ええ。せっかく次の作戦にとりかかろうとしてたのに」
「警察へは?」
「いえ。警察も信じられません。通報して逆にこっちの居場所がばれたらまずいですからやめときます」
「そうだな。しかし、こちらとしても探しようがないな」
「ええ」
 そこでカノンが言った。
「私もテレパシーでリサお姉さんの声が聞けないか試してるんだけど、ハルバート先生とおんなじで反応がないの」
「参ったな」
 チョウ医師が言うとルークは自らに言い聞かせるように言った。
「でもあきらめる必要はないです。あとは臨界ジャンプ作戦を実行に移すだけです」
「そうだな。皆で力を合わせて頑張ろう」
 チョウ医師が言うとカノンも「頑張ろう」とせいいっぱい拳を振り上げた。

 その時、ルークのスマホの着信音が響いた。それは理沙に割り当てた着信音だ。
 ルークは喜びに昂ぶってスマホに『リサ!』と叫んだ。
 しかし、返って来たのは理沙の声ではなかった。
『ごめん。私はリサじゃなくて、今日リサが検査に来たスタイン研究所のスタッフのキャロルというの。あなたはリサとどういう関係?』
 そう聞かれてルークは堂々と答えた。
『ああ、僕はルーク。リサを愛してる。キャロル。リサに何か事故でもあったのか?』
『事故ではないけど軽い貧血の症状が出たのでうちの隣の病院に連れて行ったの。で私も仕事が終わってから病院にお見舞いに行ってみたんだけど、記録によると症状が軽かったからもう帰されたらしくていなかったの。ただこのスマホを忘れているから彼女に連絡したいんだけど』
『そうか。でもひどいことではないんだね。ちょっと心配していたんだ』
『ええ、一応、リサの自宅の留守電にはメッセージを残したわ』
『ありがとう、キャロル。スマホの電池が切れるといけないから君の電話番号を教えといてくれる。リサがこちらに帰ってきたら君に連絡するよ』
 ルークはキャロルの電話番号を控えて切るとホッと息を吐いた。
 カノンは期待を込めてルークの声を待った。
「リサの行方がわかったのかい?」
 チョウ医師に聞かれてルークは答えた。
「まだはっきりとはわからないんですが、スタインという研究所のキャロルという女性がリサは貧血になり隣の病院に運ばれたと教えてくれたんです。そこで症状が軽かったので帰されたみたいです」
「じゃあリサお姉さんはもうすぐ帰るんだね?」
「うん。すぐ帰ると思うよ」
 ルークは期待を込めて頷いた。

つづく