改訂版ドルフィン・ジャンプの14 ハルバート研究所
改訂版ドルフィン・ジャンプ全29章 目次です
14 ハルバート研究所
午前八時すぎ、ハルバート博士のクルーザー『パンドーラ二世号』はモントレー半島南部の入り江に入った。
「さあ、あそこが私の別荘兼研究所だ」
博士の指差す先に、海岸の崖に建つ二階建てが見えた。年月が経っているためにくすんだ灰色だが、しっかりしたコンクリート造りだ。
「手前の海岸に洞窟があるだろう、あそこと地下の研究室はつながっているんだ」
なるほど海岸線に幅6メートル、高さ1メートルほどの洞窟が口を開けている。
クルーザーは天然の跳び岩にコンクリート板が渡され手すりがつけられた桟橋に横付けになり到着した。皆はハルバート博士の別荘の中に入った。
「博士、地下の研究室ってどうなってるんですか?」
「うん、じゃあ降りてみよう」
階段を降りてゆくと、そこは約5メートル四方のコンクリート剥き出しの部屋になって、応接セットが中央にあり、壁際に資料棚や機材棚が並んでいる。
もちろん地下だから明かりは蛍光灯だけだ。
「ここは資料室だ。この扉の先が研究のメインルームだ」
博士がドアを開くとそこは洞窟へ向かって高さ70センチほどの窓が開いていて、それほど明るくはないが資料室より開放感があった。
デスクが二つあり、パソコンとが並んでいる。
「ここなら電波は外に漏れないだろうから、ルークもターバンをとって出発までのんびりしていいよ」
カノンが窓に近寄って声をあげた。
「すごい、さっきの洞窟だあ」
「サッシ窓は格子鉄線入りの強化ガラスで、洞窟に通じるドアは潜水艦に使われる防水扉になっている。床の基礎自体も1メートルほど高くなってるから、満潮で潮位が上がっても浸水はしない設計だ」
ハルバート博士は防水扉についている四個のレバーを開いて、扉を開けた。
「滑りやすいから足元に気をつけて、階段を六段おりるよ」
洞窟に出てみると、外側から見たより内側は広く、幅6メートル、高さ4メートル、奥行き10メートルほどのホールになっている。そして研究室側3メートルほどはプールサイドのようになって、その下が海につながっている。
カノンが言った。
「ここならイルカの餌付けできるかも」
「まあ、ここに来るイルカは外洋に出ているわけだから餌付けの必要はないが、毎日、地元のイルカが遊びに来て覗いたりするんだよ」
ハルバート博士が言うと、カノンが嬉しそうに続けた。
「すごーい! そうだ、お兄さん、マックスもここで飼おう」
カノンはハルバート博士を振り向いて頼む。
「博士、いいでしょ。そしたらマックスとテレパシーの研究がゆっくりできるわ」
「なるほど。それはいいかもしれないね」
ハルバート博士も微笑んだ。
ハルバート博士夫妻、アルミホイルのターバンを巻いたルーク、カノン、理沙の五人はSUVワゴンに乗り町を二つ越えて、公衆電話からカノンの母親に電話した。カノンの母親には昨夜のうちにクルーザーから衛星電話で『船の故障で海洋大学の調査船に移った』と伝えたところ海洋大学の教授というステータスで信頼を得ていた。そこでもう一度念を入れたのだ。まず理沙が無事を知らせ、謝った。
「お母さん、すみません、シーパークのリサです。先ほど、陸に戻りました、モントレーの南です。今回は心配かけて、すみません。今、お嬢さんに代わります」
「あ、母さん、心配かけてごめんなさい。でもカノンは大丈夫だから安心して。そう。私のスマホも潮風のせいで使えなくなったの。大学の先生に変わるね」
「昨夜はどうも。海洋大学のハルバートです。お嬢さんは元気そうですから、ご安心ください。いえいえ、困った時はお互い様ですから。
これから私と同級の医師に診断してもらって、必要なら休養させてから、さっきのリサとルークという青年が付き添ってそちらへお送りしますので。つきましては加入されてる医療保険があれば加入番号を教えていただけますか?」
ハルバート博士は番号をメモして言った。
「はい、はい、わかりました。とにかくお嬢さんは元気ですから、はい」
母親に印象のよくないルークは電話に出ず、博士に早く受話器を切るよう促す。
「安心して自宅でお待ち下さい。はい、おまかせください」
ハルバートは受話器を置くと声を上げた。
「さあ、今日はやることがいっぱいだ。さっさと車に戻って」
◇
一行はハルバート博士の同級生が外科医を勤めるサンノゼ総合病院に向かった。
ハルバート博士が一行を引き連れて外科の診察室をノックすると、ドアが開いて、黒い髪のクルーカットの白衣の中年医師が現れた。彼はアジア系の血が濃いようで肌も黄色っぽい。
「ドクター、久しぶり」
「ロビン、久しぶりだな。奥さん、ご無沙汰です。今日はずいぶん連れが多いですな」
「彼はマシュー・チョウ。西海岸一の脳外科医だ」
みんな、チョウ医師と握手を交わした。
「イルカの博士、そんな誉めてもアルコールは消毒用しかないよ」
チョウ医師は笑ってみんなを招き入れた。
「急に押しかけてすまんな」
「なに診察がひと息ついたところで丁度いいよ。お前から診察の頼みとは珍しいな」
「診てもらいたいのは俺じゃない。こっちのカノンちゃんの心臓の診察と、ルークの脳外科手術を頼みたい」
「ふうむ。医療ブローカーでも始めたのか?」
「まあ、そんなところだ」
「じゃ、お嬢ちゃんは胸部内科にまわってもらおう。今、至急のメモを書く」
チョウ医師はメモにすらすらと指示を書いてハルバート博士に渡した。
「じゃあ、ベスとリサはカノンちゃんを内科に連れて行ってくれるかい?」
「わかったわ」
「カノンちゃん、きっと大丈夫だから安心して」
ルークが言うと、カノンは頷いてエリザベスと理沙と一緒に出て行った。
チョウ医師は椅子にどっかと座り言った。
「じゃ、ちょっと外見を見ようか? そのタオルのターバンを外してくれるか」
ハルバート博士が言う。
「マシュー、ここじゃまずいんだ」
「どういう病気なんだ、伝染性か?」
「そうじゃない、その裏に看護士は?」
ハルバートが顎でカーテンを指すと、チョウ医師は大きな声で言った。
「ミランダ、休憩してこいよ」
カーテンが開いて、ナースが「ありがとう」と言って部屋から出て行った。
「マシュー、信じられないかもしれんが聞いてくれ。この青年は漂流しているところを私が助けたんだが、悪の組織に狙われてるそうだ」
「おいおい、ドラマの観すぎじゃないのか」
「いや、このルークはある研究所で捕われ、クルーズの途中で拳銃で殺されかけた」
「本当に?」
マシューの反応にルークが説明する。
「悪の組織に捕らわれた事自体は記憶を消されたのか覚えが全然ないのですが、クルーザーで銃で撃たれて海に飛び込んだのは本当です」
「俺も信じられなかったが、嘘をつくためにわざわざ鯨の背中で決死の漂流をするほど暇な人間はいないからな」
「なるほど。で、脳外科手術というのは?」
「これだ」
ハルバートは小型無線機を見せて言った。
「このスキャナーで調べたら、頭部から電波が出ているんだ。監視のための発信機があるらしい。そいつを取り除いてほしいんだ」
「ふうむ、こりゃ初めてのケースだ」
「だから診察も手術も電波を遮蔽できる部屋でしてほしいんだ」
「わかった、MRI検査室でやろう。あそこなら電磁波は完全遮蔽される」
チョウ医師は救急部門の麻酔医と助手をつかまえ、ルークをMRI検査室に入れて脳内にあるチップを取り出す手術に執りかかった。
◇
二時間後、チョウ医師が出てくるとハルバートは急いでソファから立ち上がった。
「どうだ?」
「成功だ」
「そうか、ありがとう」
チョウ医師はコンパクトディスク用の防磁ケースをハルバートに手渡しながら、興奮した口調で続ける。
「しかし、この電子チップを埋めた技術はすさまじいもんだ」
ハルバート博士は無線機のスキャナーを起動したが、電波は漏れていない。
「チップの大きさは4ミリないし、入れる時の手術跡は頭部に3ミリの穴しかない。おそらく狙った深さにセットして、丸めておいたチップを開いて埋めたんだろうが、あんなの神技だぞ。この技術、きっと脳外科やいろんな外科に役立てられると思う。ちょっと教えてほしいもんだよ」
ハルバート博士は指で宙をノックするようにして言う。
「うん、教えてもらったら二度と帰れなくなるかもしれないな」
「あれだけの技術、もったいないがな」
「それでルークはどれぐらいで退院できる?」
「うん、出血は最小限で済んだし、感染がないと確認できれば数日でいけるだろう」
「ありがとう」
「おかげで今日も飯がドーナツだ」
「今度、うまいものを奢るよ」
「イルカの餌ならいらないぜ」
「うん、勘がいいな。次に来る時はイルカの患者を連れて来るかもしれない。頼むぞ」
ハルバートは可能性を仄めかした。
「ハハッ、こうなったらヤケだ。イルカでも鯨でも、なんでも連れて来やがれ」
チョウ医師は豪快に笑った。
つづく
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