改訂版ドルフィン・ジャンプ4 白頭鷲の翼

改訂版ドルフィン・ジャンプ目次 全29章です

ドルフィン表紙


 

  4 白頭鷲の翼

 ホワイトハウスの西棟ウェストウィング。大きな机が置かれたルーズベルトルームではバーバラ・ヘルナンデス上院議員を始めとする全米女性健康促進協会のメンバー六名がジョー・ワンダリー大統領への陳情のために待たされていた。
 パウラー広報官がルーズベルトルームに入り深呼吸すると、その隙に大統領が入ってきてしまい「やあ、全米が誇る美女たちをお待たせしたね」と言った。
 おかげでパウラー広報官は大統領の入室を告げるという今日の初仕事を失いおずおずと退室した。入れ違いに補佐官秘書のスミス・コックスが入って大統領の隣に座った。

 グレーの髪に大きなウェーブがかかったワンダリー大統領は七十五歳。ワイシャツの襟をわざと広めに高く仕立てており、着席するとたるんで皺の寄った首がきれいに隠れて凛々しい顎に見えた。
「大統領、お時間をとっていただいて光栄です」
「バーバラ、君に頼まれたら僕はメロメロ、忠実なシモベだ。
 おっと皆さん、今の発言は家内には教えないでくれ、エリーにもいつも同じことを言ってるからね。大統領命令だよ」
 大統領がウィンクし一同はどっと笑った。バーバラ・ヘルナンデス上院議員は連れてきたメンバーの名前を紹介し、大統領は手を伸ばして握手した。
「大統領。時間もないでしょうから本題に入ります。働く女性と男性の自己評価、他者評価を比較調査したところ、女性が男性に比べて劣ってるという有意なデータは見つかりませんでした」
 上院議員が言うと大統領は笑って言った。
「私の予想通りだ。では問題ないわけだ」
「いえ、それがですね、大統領。働く女性の多くが男性に負けないように労働するため肉体を酷使し、無理をして働いていることがわかったんです。そのため深刻な病気の罹患率が上がっています。私たちは女性の労働に対して二十五分で少なくとも六分の休憩を義務づける必要があると考えます。さらに女性は家に帰っても家事または育児に時間を取られています。大統領は昔から家事をなさった事がないでしょう?」
 大統領は内心ムッとした。そんなつまらない話のためにホワイトハウスにいるわけじゃない。もっとグローバルな視点から政治、経済のバランスを取り、合衆国の力を見せ付け、合衆国を脅かそうとする愚かどもにははっきりとした形で断固たる制裁を加える。それが私の仕事だ。
 それでも作り笑いで彼女達の相手をしているのは選挙の時に彼女たちがまとまった金額の寄付をしてくれ、友人からも寄付を集めてくれたからだ。
「なるほど。確かにここでも女性スタッフも男性と同様に酷使してる可能性は否定できないな。スミス、うちの女性スタッフの平均労働時間は男性に比べてどうだ?」
 突然、大統領に指名された補佐官秘書は冷や汗を流した。
「申し訳ありません。そういう観点でのデータは集計してませんでした」
 大統領は手のひらを見せて頷いた。
「なるほど。これは至急調査すべき課題だな。問題が明示されたら皆さんが法案を提出するサポートをしよう。もっとも皆さんの主張をそのまま通すのは……」
 そこへドアが乱暴に開かれ首席補佐官のハリソン・キャンベルが駆け込んできた。

「大統領、大変です。コードW1です」
 大統領はホッとしてバーバラ上院議員に話しかけながら執務室に向け歩き出した。
「バーバラ、失礼するよ、たぶん君たちの目標はやや下がり三十分に五分休憩か、三十七分に四分か……」
 大統領はそのまま廊下に出て扉を閉めると毒づいた。
「そんな細かい休憩時間なんて法案化しなくてもいいじゃないか。ホワイトハウスはあんたら法案好きのホストクラブじゃないぞ」
 
   ◇
 
 大統領は執務室に入り、カーペットの白頭鷲の国璽の前のソファに腰をおろした。ハリソン首席補佐官も隣のソファに座った。
「助かったよ、ハリソン」
「ジョー、ご苦労さん」
 そこで大統領は秘書のウィットニー女史を大声で呼んだ。
「お嬢さん、コードW1をふたつだ」
 大統領は足元のカーペットに視線を落とした。 
「この鷲がいつも通りオリーブを向いてるのを見るとホッとするよ。宣誓して以来、時々、夢の中で鷲が矢を向いてるのを見つけて飛び起きることがある」
 ハリソン首席補佐官は頷いた。執務室のカーペットに埋め込んである白頭鷲は右足にオリーブの葉を左足には矢を掴んでいる。白頭鷲の頭は平時はオリーブを向いており、戦時は矢を向いたものに入れ替えられるのだ。
「それが合衆国大統領という責任の重さだ」
「誰だ、俺を大統領にした主犯は?」
「まさか赤い旗の国を批判するつもりですか?」
「ハハハッ、強引な選挙操作をしてもらい当選したのに訴えたら全て暴露されてしまう」
 大統領と首席補佐官はひとしきり笑った。

 そこへ秘書のアシスタントがアイスコーヒーを2杯運んで来てすぐ去った。
「それで世界に変わったことが起きたのか?」
「特にはないが、まもなく国家安全保障局のダグラスが来る」
「どうかしたのか?」
「詳しいことはまだだが、エージェントが行方不明だとか」
「ふうん」
 ヒューミントと呼ばれるエージェントによる人海戦術がメインの活動であるCIAとは違い、国家安全保障局、略してNSAは電子機器を駆使した諜報及び暗号の収集と分析がメインだ。そのため実地に活動するエージェントはそう多くはない。それがへまをやったのだろう。この時点で大統領は高をくくっていた。
 
   ◇
  
 まもなく大統領秘書室のドアが開いて白髪のウィットニー女史がダグラスの来訪を告げた。大統領は「すぐ通してくれ」と言い、すぐにNSA長官であるダグラス・オブライエンが入って来た。短く揃えた髪にグレーのスーツ姿だが長官は現役の陸軍中将から任命されるのが通例でダグラスも例外ではない。
「大統領」
「ダグ、久しぶりだ」
 大統領はダグラスを握手で迎え、首席補佐官も「元気そうで何より」と声をかけた。

「ミス・テキサスも元気かね?」
 ワンダリーがダグラスに初めて会ったのは大統領就任式の前、彼をNSA長官候補として面接した時だ。彼が第470軍事情報旅団にいた頃に見初めた妻はミス・テキサスで、官舎の庭ではロデオが出来ないと嘆いていたらしい。
「イェッサー、元気です」
「もう出世したから馬も飼えるようになったろう?」
 エピソードを思い出して大統領が言ったのでダグラスは真顔で答えた。
「いいえ、家でロデオマシーンを買って乗ってます」
 ダグラスの答えに大統領と首席補佐官は揃って笑った。
「餌代が浮いたな。座ってくれ、で急用ってのは何だ?」
「潜入させたエージェントが行方不明です」
 予想していた答えに大統領は組んだ上の足をぶらぶらさせて呑気に言った。
「アフリカの砂漠で連絡手段がないとか?」
「砂漠じゃありません国内です。しかも、これで三人目です」
「それは問題だな。経験不足のエージェントか?」
「いいえ、三人ともCIAからスカウトしたベテランです」
「で、どこに潜入させてたんだ?」
 大統領が聞くと、ダグラスは顔をしかめて囁いた。

「連邦緊急事態管理庁」

 大統領と首席補佐官の顔が強張った。
「異常に電気代のかかる施設があるとの情報を調査したところ連邦緊急事態管理庁が巨大な蓄電池を使用しているとわかったのです。彼らは密かに民間軍事会社と連携して公式に計画されていない施設を運営しているようなので内偵させました」
 ひと呼吸おいて大統領が「なんだと?」と声を荒げた。
 公には国家安全保障局が国内を対象に諜報活動を行うのは禁じられているが、現実問題として脅威の兆候を見逃すわけにはいかない。
 連邦緊急事態管理庁、略してFEMAフィーマはカーター大統領によって災害対策のために設立された機関だ。だがブッシュの副大統領、大統領時代を通して機能強化拡大され、災害だけでなくテロなどの緊急事態には大統領並みの権限を持つようになっていた。

「ダグ、つまり君が潜入させたエージェントをFEMAは殺したということか?」
「信じたくありませんが、三人も行方不明という事実はそう考えるのが妥当かと」
「ダグ、遅いぞ。二人目が不明の時点で報告に来い」
「大統領、違うんです。一人目の後、念を入れて二人同時に潜入させたんです」
 大統領は首席補佐官としかめた顔を見合わせた。
 首席補佐官が重々しく言った。
「彼らには緊急時、軍事を含む指揮権がある。下手をすると武力衝突もあり得ます」

 ジョー・ワンダリーは怒りで震えた。
「合衆国で内戦が起きる? よりによって私が大統領の時に! やつだ!」
 大統領は「ドナルド・ブラスめ!」と怒鳴って隣の椅子を蹴りつけた。椅子は壁際のテーブルまで吹っ飛んで大きな音を立てて倒れた。シークレットサービスの警護官が念のためドアから顔を少し入れて大統領の安全を確認し、すぐに顔を引っ込めた。
 ハリソンが「落ち着いてください」と宥める。
「いや、あいつに決まってる。選挙で負けたもんだからから秘かにFEMAを内部から乗っ取ったに違いない」
 ジョー・ワンダリーは自陣営がこっそり某国企業に依頼して成し遂げた不正選挙を棚に上げて、前大統領のドナルド・ブラスを罵った。
 首席補佐官は確かめるために口に出した。
「何らかの災害、テロにより非常事態宣言をせざるを得ない局面になったら、FEMAは合法的に大統領に代わってその地域の全権を掌握できる決まりです」
「私はそんな宣言は出さないぞ」
 大統領が叫ぶと首席補佐官は冷静に告げた。
「本当に非常事態になったら、その危機の最中に大統領の消極的態度は国民の失望と反発を買うだけです」
 執務室の時計が止まったように感じられた。
 首席補佐官の言う通りだ。国家の無力を明かす程の天災やテロに際して大統領は非常事態を宣言するしかないし、そうなればFEMAは大統領と同等の権限で市民の権利を制限し、連邦軍・州兵を含む連邦機関の全てを指揮できるのだ。彼らが不穏な動きを見せている以上、最悪の場合、彼らが悪意による非常事態を惹き起こすなどして、彼らの非常時軍と大統領に従う正規軍が衝突することもあり得る。
 大統領は椅子に反り返りしばらく目頭を揉んだ。そして上半身を戻すと目を瞬いて首席補佐官に聞いた。
「ハリソン、FEMAの長官クロブラッドがドナルド・ブラスに買収されたと思うか?」
「彼は優秀で信頼に足る人物の判定でしたが、状況から安心はできません。但し黒幕がドナルド・ブラスだというのは短絡的かと。むしろ国家を牛耳るカバールが選挙のために勝手に赤い旗の国と結託した我々を見限り、傘下の組織を通じて取引や家族に対する脅迫などを使いFEMAを篭絡したのかもしれません……」
「カバールが合衆国大統領の私を身限る? 奴らのトップは爬虫類のくせにふざけた真似をしおって、そんな事が許されていいのか?]
「腕力も知能も闇結社の爬虫類人の方が強いですから。奴らに友好などという言葉はないのです。爬虫類女王の英国ですらソロスに袋叩きにさせた歴史があります」
「うむ、確かにあれはドナルド・ブラスより恐ろしいな。なんとかカバールの機嫌を取っておいた方がよいかもしれん」
「私は赤い旗の国に頼む時に関係が悪くなると忠告した筈です」
「それはそうだが、あれがないと選挙に勝てなかったから仕方なかった」
 ジョー・ワンダリーはそう言ってしまってからダグラスを睨んだ。
「ダグ、今の会話は君の記憶から消しておけよ」
 ダグラスは緊張した声で答えた。
「もちろんです、大統領」

「さて、長官クロブラッドを呼び出してやつの反応を探るか?」
「彼が潔白にしろ、この件で連絡するのはどうかと。優秀なエージェントはどんなに拷問されても身元の秘密を自らの死と共に封印するよう洗脳されています。ここは私たちがまだ気付いてないと思わせた方が得策です」
「よろしい。私も同じ意見だ」
 大統領はダグラスに向いて言った。
「ダグ、CIAと協力しろ。もちろん局内にもトップシークレットでだ。双方から特別チームを編成してあたれ。合同で証拠を掴み次第、首謀者と協力者を全員無害化するんだ。無害化の意味はわかるな。CIAにはこちらから話しておく」
「わかりました、大統領。直ちに」
 大統領は立ち去るダグラスを見もせずに首席補佐官に指示した。 
「ハリソンは至急、関連法令を制限できないか検討してくれ。それから全軍に非常時でも私の命令を維持できるようインフラを強化させろ。そしてFEMAの命令より私の命令が優先することを通達しろ」
 
 つづく