改訂版ドルフィン・ジャンプの12 ハルバート博士

改訂版ドルフィン・ジャンプ全29章 目次です

ドルフィン表紙


 

  12 ハルバート博士 

 

 暗い空には雲が広がり、星も隠れてしまった。
 ルークは防水仕様の腕時計を見詰めた。鯨まかせの漂流を始めてから、すでに一時間は経っている。途中、船にもブイにも流木にも出くわさない。岸辺の明かりもいよいよ疎らに頼りなくなってきた。そろそろカノンがまた泣き出すかもしれない。
 ルークは溜め息が出そうなのをこらえて、前方の海を睨みつづけていた。 

 と、どこからか唸るような音がする。
 鯨ではなさそうだ。  
 何の音だろう。ルークが不思議に思いながらあたりを見回すと、漆黒の海の沖合に船の影が灰色に浮かびあがっている。距離は30メートルぐらいか。  
「ッ!」  
 一瞬、喉が枯れて声にならなかったが、
「おおーい!」  
 ルークは声を張り上げた。
 カノンも理沙も振り向いて「助けてー」と急いで手を振る。 
 それほど大きくないクルーザーだが、屋根にはパラボラアンテナのドームが見え重装備だ。
「助けてーっ!」 
「こっちだーっ!」
 波が静かなのが幸いだった。
 ルークたちの声はクルーザーに届いたらしく、屋根についている探照灯がポッと灯もりルークたちを照らし出すと、三人はホッと息をついた。
 近づいてきたクルーザーの甲板に人影が現れてルークたちに尋ねる。 
「どうしたんだ?」
 ルークは「船から飛び込んだんです」と答える。 
「船から?」
「ディナークルーズの船です。男に拳銃で狙われ海に飛び込んだんです。今は鯨の背中に乗って漂流しているところです。鯨は近くに何頭もいるからそっちも気をつけて」 
「鯨の背中? わかった、今すぐ助けてやるからじっとしていろ」
 声の主はそう言ってキャビンの奥に消えた。

 クルーザーはその場で旋回し、バックでゆっくりとルークたちに近づいた。 
 4メートルほど手前でクルーザーが止まると、ルークはカノンを抱いて、理沙は泳いでクルーザーの後部デッキに這い上がった。  
 そこには白髪まじりのブロンドに銀ぶち眼鏡をかけた中年男性と、金髪を後ろで束ねた中年女性が並んで待ち受けていた。 
 ルークは手を差し出しながら言う。 
「ありがとうございます、本当に助かりました、ミスター?」  
「私はロビン・ハルバートだ。こっちはワイフのエリザベス」  
「ありがとう、ミスター・ハルバート、ミセス・ハルバート。
 僕はルーク・フリードマン。こっちは友人のリサ・ヤマモトとカノン・ウィルソン」
 ルークたちはハルバート夫妻と握手して礼を言う。
「本当に助かりました」  
「ありがとうございました」  
「礼には及ばないよ。海の上じゃ、遭難者を助けるのは当然の義務なんだ」
「そうよ、無事でよかったわ。二人はドレスもずぶ濡れで寒かったでしょう、今すぐ、ココアを入れてシャワーを準備してあげるわ」

 ルークたちは3メートル四方ほどのセンターキャビンに通された。
 木目調の壁は何台ものモニターテレビやパソコン端末、オシロスコープといった計測機器類で占められ、反対側にはロングソファとミニバーがある。
 そこでルークたちは毛布にくるまりココアをもらった。
 漂流ですっかり凍えた体には熱いココアが何よりうまい。
 そこでハルバート夫妻がカノンと理沙に言う。
「それを飲んだら女性達から温かいシャワーを浴びて体を暖めるといい」
「もう温かいお湯が出ると思うわ」
「どうもありがとう」 
 カノンと理沙はシャワーを浴びにエリザベスの案内で下の階に降りて行った。

    ◇
 
 ルークは毛布に体をくるんだままミスター・ハルバートにクルーズ船で銃撃された事を説明した。
「そりゃ大変な話だ。どういう理由があるか知らんが殺すだなんて。君はよほど知られたくない事を掴んだのかもしれないな」
「かもしれません。けど、僕にはそんな記憶はないんです」 
 淡い不精髭のミスター・ハルバートはルークの話に相槌をうっていたが、急に立ち上がり、棚から小型の無線機を取り出すと戻ってきてスイッチを入れた。
「どうかしましたか?」
「この無線機には広い周波数帯の電波を拾う自動スキャン機能がついてるんだ。君の今の話だと、そのマックスというイルカには衛星追跡用の発信機が埋め込まれている可能性があると考えられる。そして君もその組織に一時期捕われていた。
 すると君の体内にも発信機が取り付けられているかもしれないぞ」
 無線機の周波数のデジタル表示がぐるぐると変わり、突然、赤いLEDランプが点灯して、スピーカーがキィーと唸りを上げた。その音はアンテナをルークの体に向けると一層大きくなった。

 ルークは青くなった。
 自分の知らない間に、体の中に発信機が埋め込まれているのだ。これで自分が恐ろしい敵に睨まれていることが、さらにはっきりした。

「うむ、やはりそうだ、頭のあたりに発信機がある」
「これじゃあ逃げ切れないってことですか?」
「なんとかなるよ。この船も測定器機を組み込む時に電磁波をシールドするシートで覆ってるんだ、研究所に行けばその残りがあるんだが、今はとりあえずアルミホイルで応急処置をしよう」
 ハルバートはキッチンからアルミホイルとタオルを持ってきた。
「一番、怪しいのはここだな」
 そう言ってルークの頭にアルミホイルとタオルをターバン状に巻いてゆく。
 すると無線機の唸りが沈黙し、赤いLEDランプも消えた。
「すごい」
「知識は応用して初めて実用になるって例だ。スマホは?」
 ルークは「さっき海水につかったから」と言いながらスマホを出す。しかし起動しようとしても何の反応もなかった。
「やっぱりダメですね」
「じゃスマホはいいだろう。もし監視衛星が高精度のカメラを装備して君をずっと追尾していれば話は別だが、そうでなければ、巨悪組織の連中は、たった今、君が海に沈んだと判断するだろう」
 ハルバートはさらに言った。
「陸に上がったら、同級に外科医がいるから、手術で発信機を外してもらえばいい」
「僕はミッションインポシブルみたいなスパイ映画が好きなんですが、現実にこんな事件に巻き込まれてみると、最悪で生きた心地がしないだけですね」
「ハハッ、映画の災難は主人公が絶対助かる台本だから心配ないが、君には台本がないからな。
ま、当分は姿を隠すより他に手がないかもしれん。よければ君の力になろう。
うちの別荘兼研究所がモントレーの手前にある、そこにかくまってあげるよ」
「ありがとうございます。実際、自分一人じゃ途方に暮れてしまう状況です。お世話になります」
「ああ、これも何かの縁だよ。遠慮しないでいい」

「ところで、ハルバートさんはこの船で何の研究をしてるんですか?」
 ルークが聞くとミスター・ハルバートはにっこりと頷いた。 
「私は海洋大学でイルカと鯨の言語について講義しているんだよ」
「はあ、それでかな。お名前に聞き覚えがある気がしたんです。最近はイルカや鯨の特集が流れるから、雑誌か何かでハルバート博士の名前を見ていたんでしょう」  
「トム・クルーズほど有名じゃないがね」
 ルークは「ハハッ」と噴き出した。  
「しかし、ルーク、君の連れのカノンちゃんやリサさんは君以上に怖かったろう、いたわってあげなきゃいけないよ」 
「ええ」 
 ルークは微笑んで頷く。  
「こんなこと言うと笑われるかもしれませんが、カノンがテレパシーみたいな能力を使えたおかげで鯨も僕たちの漂流に協力してくれたのかもしれない。最初はちょっとカノンも鯨も戸惑ってたみたいだけれど……」
 ハルバート博士は嬉しそうな声で聞き返した。
「テレパシーを使える! 興味深いね!」
「あれ、否定しないんですか?」
「どうしてだい?」
「先生はテレパシーを肯定するんですね。僕自身はテレパシーなんて実際に普及すると社会が混乱するだけだと思うんです」
「例えば?」
「例えばその、行政や企業が秘密を保持できなくなるとか。個人のプライバシーだって侵害されてしまうかも」
「うん、そういう秘密には対策が必要かもしれないな」
「でもイメージが違うな。科学者はテレパシーなんかに否定的かと思ってましたよ」
「鯨、イルカの言語を研究していると、音だけでは説明つかないことが出てくる。音を発してないのに話が通じてるように見える時がある。超音波なら測定可能だが、時々、それさえ使わずに話が通じているとしか考えられない事があるんだよ。
 去年は第一段階として音波の通じない離れた状態でも意思疎通ができるかという実験を行って、有意の結果を得たんだ」
 ルークは頷いた。
「僕は今も信じられないんですが、カノンがテレパシーでイルカが救いを求めているので助けたいと言い張り、僕に水族館に連れてけと頼んできたのがそもそもの始まりなんです。そしたら今夜は、彼女がテレパシーで傍にいた男が拳銃で僕らを殺そうとしていると読み取ったんですよ。実際、彼女がテレパシーで察知してくれてなかったら、僕たちは今頃死んでた筈です。
 そうだ、あとクルーズ船から落ちた時、カノンは鯨から連れて行くと聞き取ったんです。僕は陸に近づかないのでいらいらしてたけど、あれはハルバートさんのところに連れて行くという意味だったのかも。
 仕組みは見当もつかないけど、カノンのテレパシー能力は本当にあるみたいです」
 博士は腕組みして髭を撫でて言った。
「うむ。それにはフォトンという光の量子が関係してるらしい。
 すでに鳥類にはクリプトクロムと呼ばれる視覚細胞があり量子もつれの差異を知覚して磁場を察知できることが明らかになっている。おそらく人間にも量子を知覚できる細胞が脳のどこかにあるのだと思うよ、ただ使い方を忘れているんだ」
「量子理論ですか? 苦手だなあ」
「まあね。20世紀までの科学は時間と空間を入れ物として前提している理論だから、時間や空間からはみ出るテレパシーをオカルトとして退けてきた。そして相対性理論による物理空間こそ宇宙の基礎だと考えてきた。そこでは光速を超えることはあり得ない筈だった。ルークはEPRパラドックスという言葉を知ってるかね?」
「いえ、聞いたことないです」
「アインシュタインは1935年に量子理論を打ち負かそうとしてEPRパラドックスという思考実験を発表した。
 電子が一対入った箱に仕切り板を適当に入れて電子を二つに分け、片方を動かさず、片方を一億光年遠方に持って行く。
 量子理論派の奴らは地球に残った箱を開けて観察する時に瞬時に一億光年先にも電子の状態が伝達されると主張するしかないぞ。アインシュタインはこの思考実験の異常さを笑い飛ばせると思った。それで正に『幽霊の様なテレパシー』と呼び、物理空間では光速を超えられないのだから量子理論は不可能だと論破したんだ。
 ところが、1982年にフランスの物理学者アスぺによってこの遠隔作用が成り立つ事が実験によって証明されてしまった。アインシュタインは否定されて物理は21世紀に入り新たな転換期に来たんだ。
 今では離れた二つの量子系が密接に影響しあう『量子もつれ』が基礎的な前提事実として認められている。テレパシーに関しても科学的な実験がワッカーマンやラディンにより発表され、『量子もつれ』が意識の伝播に関わっていると考えられている。
 近い未来にテレパシーが証明され、テレパシーはオカルトから科学のジャンルに完全に引っ越すかもしれないよ」
「アインシュタインは史上最高の科学者だとばかり思ってましたが、実際は量子理論に負けていたんですか」
 ルークが焦った顔で言うとハルバート博士は目を細めて笑顔を向けた。  

    ◇
 

 そこへミセス・ハルバートが戻ってきた。
「あら、その頭、もうシャンプーしたの?」
「いや、スパイ映画の小道具だ。あとで女の子が戻って来たら詳しく話すよ。
 それより大変だよ、ベス。さっきの小さい女の子はテレパシーが使えるそうだ」 
 そう聞くとエリザベスも目を輝かせた。
「まあ、彼女が! あなたは前から、イルカはテレパシー能力があるかもしれないと言ってたものね。彼女に巡り合えたのは神様の導きよ」
「そうでなきゃ、鯨の背中で漂流なんてなかなかできない芸当さ」
「そうね、素晴らしいじゃない。是非、彼女に研究に協力してもらったらどう」
「うん、そうだな、後で頼んでみよう。
 ルーク、暇つぶしにイルカのテープを聞くかい?」
「ええ、是非」 
 ハルバート博士は立ち上がって、古風な大型のオープンデッキの前に行くとテープを巻き戻して再生ボタンを押した。 
 するとイルカの声がスピーカーから流れてきた。
 それはピュー、ピュイーという単調な繰り返しだ。
「イルカの声ですね」
「うん、ただイルカの声は口からではなく頭の噴気孔の奥から出ているんだ」
「そうなんですか」
「このクルーザーの船底には水中マイクが装備されていてね、24時間、鯨やイルカたちの声をモニタリング録音できるんだ」
「こんな声をいつも出しているんですか?」
「いや、種類によってはほとんど声を出さないものもあるし、いつも喋っているわけではないがね。人間には聞こえない周波数の音も彼らは聞き分けることができるし、さっき言ったように音として捉えられない何か別の能力でコミュニケートしている様子もある。
 これを突き止めるのはやっかいだが、鯨やイルカ同士がコミュニケーションをとっていることは確実なんだ。人間が使うような文法体系は持っていないが、だからこそ人間の考えつかない能力が発達しているみたいだ」
「生命の知恵は偉大な神の知恵なのよ」
 ハルバート夫妻が微笑みかけると、ルークも「すごいですね」と感心した。  
「ところが、人間には自分の信仰する常識と違うとすぐ否定にかかる石頭が多くてね。ファイトが湧くよ」 
 ルークは相槌をうった。 
「どこにも石頭はいますからね」  
 それから壁面いっぱいに積み上げられている解析機器類を見上げてつぶやく。  
「それにしてもすごい観測機材ですね」
「昔はテープレコーダーに、カメラだけで観察した時代もあったんだが、それでもけっこう楽しかったし、成果もあった」  
 ハルバート博士が言うと妻が続けた。
「そうそう、一本しかない水中マイクが壊れて、普通のマイクにビニールを巻いて使ったこともあったわ。結局、再生してみると雑音が多くて使えなかったのよ」 
「ハハッ、そんなこともあったな。今じゃ高感度ソナーもあるし、デジタルイコライザーも、周波数測定器もある。太平洋の真ん中でも衛星経由で大学のスーパーコンピューターに接続してデータ解析もできる。
 ところがこんな何万ドルもする機械が全部役に立つかというと、そうでもないから不思議だよ」 

    ◇
 
 カノンと理沙がエリザベスからの借り物らしいトレーナーとスラックスを着て上がってきた。  
「あれどうしたの、ルーク?」
 カノンは笑いながら長すぎて折った袖から指を覗かせてルークの頭を差した。
「笑い事じゃないんだ」
「どうやらルークもイルカ同様に頭に発信機を埋め込まれているみたいなんだ。それで位置を追跡されている可能性がある」
 ハルバート博士が説明を始めるとカノンも神妙になった。
「その電波を遮断するために、応急処置としてアルミホイルで頭を覆っているんだ。いずれ陸に上がったら、手術して発信機を取り出す必要がある」
「まだ危険が続いているってこと?」
「そう考えた方がよさそうだ。君たちもしばらくは私の別荘兼研究所に身を隠した方が安全だろう」
「そうですね、命を狙われたんだもの。のこのこ戻ると危ないかも」
 理沙の言葉にカノンも頷いた。
「お母さん、心配するだろうけど」
「じゃあ、お母さんには私からも説明してあげるよ」
 ハルバート博士が言うと、カノンは「お願いします」と頼んだ。
 カノンがスピーカーを振り向いて「イルカの声?」と聞いた。 
「ハルバート博士はイルカや鯨の言語を研究しているんだよ」
 ルークが教えてやる。
「そうなんですか、イルカと鯨の言葉は違うんですか?」  
「うん。もちろん違いはあるよ。でも君たちは鯨の背中で漂流してきたけど、鯨とイルカは同じ種族なんだ。知ってたかい?」
「へえ。あ、鯨が連れてってやるって言ってたんです。それはイルカの仲良しの博士のところに連れてってやるって意味だったのかも」
 さっきルークが言ったことをカノンが繰り返すと、ハルバート博士が微笑んだ。
「私が鯨に知られてるとしたら光栄だね。さて体が大きいのを鯨、小さいのをイルカと呼んでいるが同じクジラ目なんだ。さらに彼らは哺乳類の仲間でもあり、海に住み替えた種族だ。つまり哺乳類というカテゴリーで彼らは人間の兄弟と言えるんだよ」
「人間とイルカと鯨は皆兄弟なんだあ」
 カノンが目を輝かせると、ハルバート博士は尋ねた。
「カノンちゃんはテレパシーが出来るんだって?」
 カノンは照れくさそうに頷いた。 
「そうみたいです。でもできるようになったばかりで、ふとした瞬間にすうっと声が胸に溶けてくるんです。ただ受信が主で自由自在に会話ができるわけではありません」  
 博士は微笑んで相槌をうって言う。 
「私は前からイルカや鯨の言語を研究していて、彼らが音以外の方法、つまりテレパシーのような能力があるに違いないと思ってきたんだ」
 そこで理沙が打ち明けた。
「テレパシーについて実は私も少しだけ経験があるんです」
 博士が「ワオ」と声を上げて、微笑む妻を振り向いた。
「なんだかすごいことになってきたぞ」
 ルークも理沙の告白に「本当に?」と驚いた。
「私の場合は子供の頃苛めっ子の考えを三度聞いたし、今年もハワイで悪い男の声を聞いたんです。それでFBIに協力して毎月脳波検査をされています」
「FBIがそんな研究を、それは初耳だ」
 博士が言うと理沙は疑問を述べた。
「犯罪防止に役立てたいんだそうです。ただテレパシーを研究してもそれが世間に受け入れられるのかなと疑うところもあるんです」
「そうでもないよ。全米の七割の人間は超自然的な項目をひとつは支持していてテレパシーに対する態度も軟化してるそうだ。
 さっきルークに話してたんだが、最近、科学的にテレパシーを研究してる学者も出てきているから、これからはテレパシーについていろんなことが分かってくると思うよ。
 そこで私もテレパシーに期待してテレパシーを証明する実験も計画してたんだが、今カノンちゃんとリサにその能力があると聞かされて興奮しているよ。カノンちゃん、リサさんはテレパシーの先駆者になるかもしれない」 
「そうかなあ?」
「そうよ、素敵だわ」

 そこでルークは話題を変えようと訊ねた。
「ところでなぜ、鯨たちがこんな岸の近くにいたんですか?」  
「うーん、時々、鯨やイルカが迷泳して海岸に打ち上げられることがあるね。はっきりした原因はわからないんだが、地磁気の異常や三半規管の病気、軍艦の強力なソナーなどが影響してるという説もある。
 しかし、今回の場合は、鯨が君たちのことをテレパシーで知って助けようとやって来た可能性もあると思うよ」
 ハルバート博士の言葉にカノンは嬉しそうに言った。
「だったら素敵なんだけど」
「博士の別荘はどこにあるんですか?」
「私の別荘兼研究所はモントレーの南、ビッグサーの先にあるんだ。明日の早朝、この少し沖の海域のデータを取る都合があるので、今晩はそこに停泊して、明日連れて行ってあげるよ」
 
 クルーザーが移動する間、エリザベスが、ルーク、カノン、理沙に、海で撮影した数々のイルカの写真を見せながら、話をしてくれた。
「マイルカね、群れを作って船の波と先頭を争っているところを真上から写したのよ」
「船にひかれたりしないの?」
「遅かったら船の前に出られないでしょ」
「これはなんて種類のイルカ?」
「これはセッパリイルカ、ニュージーランドの海にいる最も小さいイルカ」
「小さいって、どれぐらいの大きさなの?」
「カノンの背と同じくらいよ」
「へー、そうなんですか」
「わー、ラブラブだあ!」
 次の写真にカノンが歓声を上げると、エリザベスはにっこりと笑みを返した。そこには若きハルバート博士とモデルのように美しい若きエリザベスが寄り添っている。
「エリザベスと博士はどうやって知り合ったの?」
「私はハワイ大学で動物言語学の学生。彼は聴講に来てたの」
「プロポーズはどんな言葉だったの?」
「私と彼はイルカの言葉は少しわかるのに、お互いのことはよくわからなかった。
 彼が言うには、コレは地球文明の損失だぁ、一緒に暮らして分かり合うのが人類のためだって」
「ハハッ」
「それでオーケーしたんですか?」
 理沙が聞くとエリザベスは頷いた。
「オーケーしないと人類が滅びるって脅かすから、仕方なかったのよ」
 エリザベスはそう言って楽しそうに笑った。
「脅迫かあ」
「すごいプロポーズだあ」
「ハハハッ」
 そこへ上の操舵キャビンからハルバート博士が覗き込んだ。
 タイミングがよかったので、皆、ドッと笑った。
「さあ、船を止めたよ。よい子はネンネの時間だぞ」

 錨をおろしたクルーザーはマストランプを点灯したまま寝静まった。  
 絶え間ない波のさざめきが鼓膜に響く。
 ルークはソファに横になりながらなかなか寝つけなかった。それは今夜の大変な冒険に興奮したためというより、奇妙なくすぐったさが全身を包んでいるためなのだ。全身の細胞が入れ替わって活性化しているような感じだ。
 眠りに落ちつつ、ルークは夢を見た。 

 クルーザーに乗っている自分は海を覗き込んでいる。
 水中を何かの影が近づいてくる。
 まもなくイルカのマックスが跳び上がってきて、ルークの手首に噛みついた。しかし痛みはない。噛みつかれたルークはじっとマックスの顔を見つめていた。
 次の瞬間、マックスの言葉がダイレクトに頭の中に響いてきた。

『ルーク、僕、新しい名前、マックス。
 悪いこと起きる。
 でも僕ジャンプ好き、心配しない。
 きっといいこと、あるから。 
 ルークわくわく待ってる。
 みんな、仲良く生きていこうね』  

 ルークはマックスの目を見て頷いた。
 するとマックスはルークの手首を放して頷き、海に落ちながらみるみる鯨に変身して大きな口を開けて、笑いながら海中に消えていった。

つづく