八咫烏のタイムダイバー プロローグ

2021年11月14日

八咫烏タイムダイバー表

全体を読みたい方はこちら ↓ タイムマシンを手に入れた八咫烏やたがらす結社 桜受おうけ家の秘巫女ひみこ 旭子あきこは原爆投下を阻止するタイムダイバー隊を派遣する  ↓ 

プロローグ

 京都の南、とある神社の境内と隣接地にまたがる広大な敷地に地下要塞がある。その存在は一般に知られる事はなく報道も絶対されない。ヒントを請われるなら、歴史に詳しければ八咫烏(やたがらす)という言葉を耳にした事があるだろう。

 紀元前二百年頃、徐福は秦の始皇帝に不死の霊薬を探しますと言葉巧みに皇帝に欠けている物で心を釣り動かし三千名の若い男女と軍隊を乗せた大船団を連ねて出雲を侵略しかけて息子を残し撤退し、九州に侵攻した。だが徐福は、磐石や草木にまで言葉を喋らせる大倭日高見国のスメラミコトの偉大なる霊力の前に、恭順して権力をゆっくりと頂こうと決心した。
 古事記日本書紀の伝える神武東征の場面に描かれるのは神武軍を先導したとされる金鵄烏だが、もちろん神話の修飾であって実際には三つの古代氏族である。それはスサノオから伝わる神刀布都御魂(ふつのみたま)をもたらした高倉下(たかくらじ)の物部氏、出雲から磯城登美(しきとみ)家を経て大和に入ってた賀茂氏、同じく出雲から大和に入ってた三輪氏であった。

 八咫烏の姿がより明確になったのは、聖武天皇の時代に藤原家に対抗するために組織が制定された時であり、天皇の駕籠を担いだり葬儀を行う八瀬童子という実働部隊もあった。さらに八咫烏ではいざ天皇に危害が及びそうな場合には寺社を使って安全に奈良吉野まで逃がすルートが決められていた。
 その後、八咫烏はその秘密組織を維持するために独立した家を持たせず全ての構成員を結社の直属として代々継承させた。また南北朝時代に朝廷が分裂した時には八咫烏の組織も南北に分かれてそれぞれの朝廷に仕え、戦国時代でも天子様を守り抜く事が出来たのだ。
 だが、江戸幕府後期になって幕府や朝廷が陰陽道や祭祀儀礼を軽視するようになると八咫烏は経済的な裏付けを失い勢いに陰りが見え、明治維新で薩長や英米の勢力が権力を事実上奪取すると表立った動きが出来なくなり、地下の秘密結社としてしか生きる術がなくなった。

 当然のことながら八咫烏は極めて閉鎖的な社会を営んでいたわけだが、近親婚ばかりでは組織が廃れてしまうから、地方に分家を分散して新たな血を取り込む事も行われた。こうして明治までに本家筋六家と地方分家筋六家合わせて十二家に分かれて南北朝の財産を運用し、その利益で会社を設立運営し、国家の殖産興業を手伝ってきた。
 さらに太平洋戦争に入ると、防空壕を掘るという大義名分も得て八咫烏は地下に大きな住居を構えるようになった。さらに本土決戦の様相を見せるに至って、それは国体護持のゲリラ基地として大規模化、地下要塞化したのであった。

 京都の南にあるのは本家筋のひとつ南朝派桜受家で、古の天皇から桜の苗を賜ったのを機に家名を変えたものだ。当主は代々棒頭(ぼうがしら)と名乗る男が継いでいた。当主が八咫烏の棒頭であることには表向き間違いないが、実際の指図は常人の及ばない霊力を持った秘巫女(ひみこ)と呼ばれる巫女頭にお伺いを立てるのが古くからの掟で、結局、どこの八咫烏結社でも権力は秘巫女が握っているという点が共通している。
 桜受家当代の秘巫女は旭子(あきこ)という四十代後半の、しかし外見はもっと若く三十歳そこそこに見える美しい女性である。

   ○

 初夏のある日、事情通に裏天皇と呼ばれる裏の天子様に定期的なお目通りをするため旭子は平安の女房装束のような鮮やかな着物を重ねて着てトヨタセンチュリーの後部座席に乗っていた。センチュリーはエンブレムが鳳凰になっていて皇室御料車としても有名だが、旭子の車は鳳凰を八咫烏に変更した特注車だ。もっとも旭子のセンチュリーが走っているのは地上ではない。八咫烏が京都などの重要地域の地下15メートルに通している極秘の地下道路だ。両脇には地上と同じような店や事務所の入ったビルか、単に地盤を支えるだけのコンクリートの立方体が並んでいる。
 そこでは道路の天井にLED照明がついているのはもちろんのこと、ところどころで内側を鏡面加工された太いパイプが地上の建物屋上から降りて来て天井に開口していて、そこから太陽光がシャワーのように注いでいる。地下の住人はその下のベンチでくつろぐことで、心を癒され必要なビタミンやセロトニンを補充できる、いわば光の小さな公園が備えられているのだ。
 地下道を進んでゆくと幅20メートルもある鉄製の扉がついたビルが見えてきた。広さはドーム球場ぐらいあるだろう。旭子の運転手がパッシングすると脇のドアから、自動小銃を構えた特殊装備の警備員が三人現れて周囲を警戒してから運転手と旭子の顔を確かめる。
「何の御用でありますか?」
「桜受家の秘巫女様です。非礼の無きよう願います」
「はっ、確認いたしました、お通り下さい」
 鉄の扉はそのままの形でビルの上部に吸い込まれて、旭子の車は通路に入った。

「いらっしゃいませ」
 旭子が車から降りると、その衣装の艶やかさが際立ち、迎える女中達がうっとりと微笑んだ。
 十二単衣ではさすがに動きにくいが、衣の枚数は五枚で、一番上が手鞠の柄をあしらった橙の表衣で、その下に黄色、竹色、空色、朱色の装束を重ねている。頭には金細工の冠を被り、さらにその上に金銀の七夕飾り状のものが乗っている。胸には翡翠色の勾玉を連ねた首飾りがさがり、手には鮮やかな緋色の扇を持っている。
 旭子が昼のお座しの間に入ると大きな窓から太陽光が差し込んでいる。もちろんこれは地下街の辻を照らすのと同じ鏡面パイプによって運ばれたものだ。

 裏の天子様は長さが4メートルもある大きな座卓にノートを広げて勉強をされている。歳は小学校四年で髪は肩で切り揃えたおかっぱ頭、額の左七分でピンで留めている。白いブラウスに紺色のカーデガン、膝丈のスカートも紺色だ。裏の天子様には三つ上の兄もいるが、地祇結社の輝子さんが命運を透視して妹が天子様に選出されたのだ。ただまだ天子の名乗りが出来る情勢でもないため、宮様と呼ばれている。
 お付きの者が「宮様、桜受の巫女様がお見えですよ」と知らせると、天子様はにっこりとして挨拶した。
「あ、桜受の旭子おばさま、ごきげんよう」
「ごきげんようございますな、宿題ですか」
「はい、そうなのです」
 天子様はそこで旭子に質問してきた。
「九九なのですが、私は気付いたのです。例えば七三、七四を覚えようとすると、ひっくり返した三七、四七と同じ答えではないですか」
「そうですね」
「ですから頭の中で三七、四七の答えを呼び出せばよいですから、後半の九九は覚えなくてもよいことになりませんか?」
 天子様の工夫しようという思いつきに旭子は微笑んだ。
「その通りですが、ひっくり返すのは頭の中で余計な手間が入ってきます。頭の中で手間をするよりそのまま覚えた方が速いようですよ」
「そうですか。私は覚える事がすごく多いので、九九は半分休めるかと思いましたが、旭子おばさまがそう言うなら全部覚えます」
「それがようございます。確かに宮様はご学友の方より儀式やら知識やら覚える事が多くて大変かとは存じますが」
「そうだ、私、ひふみは覚えましたよ。ひふみ、よいむなや、こともちろらね、しきる、ゆゐつわね、そをたはくめか、うおえ、にさりへて、のますあせゑほれけ」
 小さな手で三、五、七の拍子を打って唱える天子様の可愛いひふみ祝詞に旭子は二度三度と頷いて申し上げた。
「お上手です。満点を差し上げます」
「ありがとう。満点を頂くと嬉しいです」
 屈託のない天子様の笑顔であった。

 天子様の御座所から下がると侍従長と例によって状勢分析の意見を交わす。八咫烏地祇系結社の会議の方針に沿って常に準備はしているが、表の天子様がなんらかの理由で突然に裏に譲ると言い出せば急いでマスコミにイメージ告知を流しつつ、反対を唱える評論家や輩を黙らせ、つつがなく裏の天子様即位を進めねばならない。なにしろ表の天子様には明治維新の際の重い貸しがあるのだから裏としてはこれ以上譲れない。
 そんないつものやりとりを話し込んでから、駐車場に戻ると、隣にもセンチュリーの八咫烏エンブレムが停まっている。

 旭子が近付くと後部のガラス窓が静かに降りて、同じ地祇系結社の秘巫女である輝子が微笑みかけて来た。
「旭子はん、ご苦労様です」
「輝子はん、これからお目通りですか?」
「いえ、旭子はんと世間話しようかと待っておったんです、どうぞお乗り下さい」
 ドアが開くと旭子は輝子の隣に座った。輝子も見た目は旭子と同じ三十歳ぐらいに見えるが実際の年齢はもっと上という噂もある。衣装も旭子に似た女房装束の五枚重ねで、冠から下がった透明や青や赤の玉のすだれが愛らしい。

「いつもお世話になってます」
「こちらこそ。世間話と誘ってみたものの自分の座所を地下要塞にしてますので、外に飲みに出歩くわけでもない世間知らず、困りますねえ」
「吾も似たようなものですからな。時に輝子はんはお酒は召し上がりますの?」
「私のを飲むなどと言ったら日本中の酒豪から叱られそうな。三日に一度ワインやらブランデーの香りの好いものをグラス一杯といったところです」
「はあ、それは毎晩寝酒を頂いてる吾よりも少ないようです」
「酔い潰れては霊能力に障りますから。お酒の味がちゃんとわかるんは最初の数口ですから、メーカーさんがヤクルトサイズで出してくれはったらええのに思いますわ」
 輝子の真面目なぼやきに旭子は苦笑した。
「うふふ、それではメーカーはんも、飲み屋はんも悲鳴ですわな」
 輝子はそこで嬉しそうににっこりした。これは苦手な話題で相手から笑いを取れたからなのだが、そこで本題を切り出した。
「話は替わりますが旭子はん、もしタイムマシンがあったら何に使いたいですか?」
 輝子の突然の問いに旭子は虚を突かれたが、それは単に想定外ということだけであって、子供の頃にSF特集の雑誌を読んだ時に既に考えたことがある。
「吾はタイムマシンがあったら、絶対にすることがありますが、それは地祇系トップの輝子さんにも軽々しくは教えられまへん」
 輝子は嬉しそうに「わかりました」と断定し微笑んだ。
「そう言わはる旭子はんはタイムマシンが実際に可能だと考えておられるということです。普通の方はハナから信じてないから無責任なことをいろいろ言わはる。
 そやけど旭子はんはタイムマシンがいつか本当に使えると信じておられるから軽々しく口にしない。それは素晴らしい心がけやと感心しましたわ」
 旭子は輝子の意識に米国のものらしい機密文書が浮かんでいるのを読み取った。
「なるほど、どうやらただの世間話ではないようですな。こちらも覚悟して伺いますのでお願いいたします」
 輝子は遠い彼方を眺めたまま話し出した。
「私はとある国の蔭の勢力と親交があります。よく世間で噂するなんちゃらハンドラーを顎で使い命令する人たちです。あ、親交といっても心許せるものではないのですよ。私が要塞に籠っているのは7割がたはその奴らのためですから」
 旭子は輝子がそうやって日本のために火の粉を被ってくれているのだと感じた。
「弥栄のお勤めありがとうございます」
「いや、旭子さんもそうです。うちらは結婚も禁じられて地下に籠る因果な仕事。上の神社で参拝客がエゴの願い事祈ってるのを聞くと時々、こらあと怒鳴りたくなります」
 輝子の表情が一瞬リアルに怒ったものになったので、旭子は苦笑した。
「ええ、ようくわかります」
「とにかく、その蔭の勢力がどうやらタイムマシンを開発したようなんです。巷のネット情報にあったジョン・タイターが使ったマシンのリバースエンジニアリングらしいです。私が知ったのは、ほら子供は気に入ったおもちゃを自慢したがりますからね、私が透視できるかもしれないという情報は知ってる筈なのですが、面と向かい合っても蔭の勢力の者たちにはその危険性がわからへんかったようです。彼らには想像力が決定的に不足してはります」
「それはそれは。役得というてええのやら」
「ええ。ただ問題はさすがに私の配下が米国国防総省の施設に忍び込もうとしたら、私への容疑が一発で固まります。さすがにそれは堪忍です。
 私とは無関係な、どこぞのエージェントが設計図を盗み出してくれたええのになあ、あ、これはぼやきが洩れました。今の話は忘れてくださって結構ですよ」
 輝子の意識に設計図の場所が記されたメモがはっきり浮かび、それを旭子はそっと呑み込んだ。
「今日は輝子はんのお酒の話が聞けて楽しうございました。失礼いたします」
 旭子は自分の車に乗り込むと手帳に暗号を使って住所を書き留めた。

つづく