八咫烏のタイムダイバー 更新分のみ

2021年7月24日

八咫烏のタイムダイバー表紙

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第20章 艦内徒競走と富士山

 

 伊号第12潜水艦の潜航訓練、浮上訓練は順調に進んでそれぞれタイムを縮めることに成功し、白岩は現在の乗組員の実力を知ることが出来た。
 白岩は工藤艦長と話し込んだ。
「艦長、これで三直チームの練度は十分だろうな」
「はい。実戦が楽しみです」
「次の手として艦内徒競走をしようかと思う。後部兵員室の後ろにタッチしたところから走り出して、司令塔上のハッチにタッチして降りて、前に進み魚雷室の防水扉にタッチするまでのタイム競争だ」
「はい、それは面白いかもしれません」
「成績優秀者にはわしから、1等には恩賜の懐中時計、2等には恩賜の煙草入れ、3等には恩賜の銀杯を提供する」
 白岩が提案すると、工藤艦長が考え込むようだった。
「……それは嬉しい景品ではありますが、恩賜の品を賞品にしたと他所に知られたら、陛下から自分に賜ったものを他人に譲るのは不敬と非難されるかもしれません。やめておいた方がよいかと思います」
 その頃、恩賜の煙草があったが、当初フィルター部分に菊の紋章があり捨てられた残骸に御紋が残るためこれはいかんと燃える部分に印刷が移されるという事例もあった。
「なあに、潜水艦乗りは死ぬ時は全員一緒、ひとつなぎの命ではないか。死んだ後にわしの物と他の乗組員の物とを区別したところでそこに意味があるか」
 そこまで言われると工藤艦長も苦笑いするしかなかった。
「大佐の考え方はいつも桁外れですなあ。そこまで言われるなら問題ないでしょう」
「これは一部例外を除きなるべく全員参加だ。わしも走るし、艦長も走れ」
「えっ、私もですか?」
「苦手であってもそれを知られた方が親近感が増すという効果もあるからのう」
「気が進みませんが、大佐よりは速いでしょうから参加しましょう」
 白岩がにやりとしてさらに言った。
「途中でこけて怪我したものの治療があるから軍医長殿は除外だ。あと飛行兵の二人は駆け足が弱ってて可哀想だから最初から外してやってくれ」
「調理方も除外でいいですか?」
「うむ。その他の除外者は艦長の裁量に任す」
「では。中にはやりかけの仕事から手を放したくない者もいますからそれを無理やりに参加させるのはよろしくないと思います。そういう理由がある者は棄権可能にさせて頂きます」
「まあ、よかろう」

 こうして個人対抗徒競走大会が艦内放送で告知された。するとすぐさま除外された望月、矢吹が白岩の司令官室に乗り込んで来た。
「汚いぞ……」
 望月が言うと、白岩はすぐさま伝声管で世話係の下士官に命じた。
「来客だからコーヒーを三つ淹れてくれ」
 下士官はすぐにコーヒーを持ってきてテーブルに置いたが、白岩はさらに命じる。
「飲み終わるまでそこで待っててくれ」
「はっ」
 望月と矢吹のすぐ後ろで下士官が立って待つ形になり追及を弱めようという作戦だ。
 
「大佐殿、自分が負けるからって俺たちを外すなんて」
「そうではない、これは乗員の士気と脚力を高めるのが目的なのだ。貴官らはもともとこの伊号の乗員ではないだろう」
「大佐だってそうではないですか。なのに参加しやが…参加するなんて。俺たちに負けるのが悔しいためとしか思えません」
 白岩は即座に否定する。
「違う違う。お前らの脚力はわしがよう知ってる。だから、もしお前らが出たら乗員にゆく筈の景品が行き渡らなくなるではないか。こらえろ」
「だったら大佐殿も出ないでほしいです」
 矢吹が言うと白岩は一蹴する。
「ほれ、そこはわしは景品提供者として自分がどこまでやれるか楽しむ権利がある」
「いい歳して大人げない」
 下士官は苦笑をこらえているようだ。望月と矢吹はあえなく退散した。

   ○

 徒競走大会のコースは後部兵員室から補助発電気室、制御盤の前を通り、主機関の間を抜けて、発令所から梯子を昇って司令塔の上、艦橋に通じるハッチを手で叩いてから下がり、発令所を抜けて、士官室を抜け、前部兵員室を通り、魚雷発射室の扉にタッチするもので、全長113.7mのうち操舵室以降と魚雷発射室以前の部分を除外した72m強を使う。

 そう聞くと短いと思われるかもしれないが、普通の客船と違ってこの距離を立ったまま走ってはゆけない。途中で五か所の円形をした隔壁防水扉があり、それを頭をぶつけぬよう屈んで、尚かつ同時に床より一段高い位置にある扉の下辺をまたいでゆかねばならないのだ。もちろん食糧が積まれた部分は高くなってるからその高低差もあり、平面ではなく三次元の競争になるのだ。

 徒競走はまず士官以上のグループ13名で下の階級の者から出走した。
 最初は分隊士の小諸中尉が唾を吐きつけた手を叩き鳴らして待つ。
 そこへ「始め!」の声がかかりスタートした。
 見物する兵たちは兵員室の中や、厠前、洗面所などにたむろして眺めている。
 分隊士は最初の防水扉で後ろ足が引っ掛かりあやうく転びそうになったがなんとか持ち直してタイムは18秒台を叩き出した。
 電気長、機械長、潜航長が棄権して、次に走ったのは掌水雷長でタイムは20秒台。次が砲術長でタイムは21秒台とふるわない。

 坂本機関長、山村航海長、先任将校である鈴木水雷長は仕事優先で棄権が放送され、見物する兵たちを三度続けてがっかりさせたところで、予想に反して工藤艦長が防暑服に白手袋をしてスタート地点に現れた。
 こうなるとやんやの喝采が沸く。
「艦長、分隊士に負けると示しが付きませんよ」
「艦長、怪我されると困りますで歩いても結構ですよ」
「その代わり全員に一杯おごって下さい」
 そこで工藤艦長が言った。
「俺が1等の懐中時計を貰ったら、おごってやろう。みんなは手を抜けよ」

「始め!」
 いよいよやんやの拍手が沸き起こった。
 工藤艦長は主機械を通り抜けるところまではそこそこの速さを見せた。
 しかしその後の発令所から司令塔への梯子の昇りが遅くなってしまった。
 最後はまた意外と速い足が復活してタイムは19秒台をマークした。
 見物の兵からは「分隊士は今から棄権しろ」の声が上がる。

 続いて登場したのは一番階級が上の白岩大佐である。40代半ばと年齢も一番上でありさらに髪には白いものも混じっていては誰も期待はしなかった。
「大佐、適当にタイム書いておきますからもう休んで下さい」
「景品はもらいますから走らなくていいですよ」
 労りの声が上がる始末だ。

「お前ら、よう見とけよ」
 白岩が言ったが、負ける予定の犬の遠吠えにしか聞こえない。
「始め!」
 だが、白岩が走り出すと、兵たちの瞳孔はすぐさま驚きに開きまくった。
 スピードが桁違いなのだ。まるで獣のような前傾姿勢であっという間に最初の防水扉の狭い穴にさしかかった。
 と、全くスピードを緩めるところもなく、片足は体操選手のように前に突き出し、片足は尻尾のように後ろに一直線となり水平に近くなった姿勢で穴に激突するかのように吸い込まれて消えた。
「なんだ、今の」
「チーターか」
 驚いた後部兵員室の兵たちは慌てて白岩の後ろ姿を見届けようと追いかける。
 が、もう、白岩の後ろ姿は次の防水扉の向こうに消えてしまっている。

 洗面所にいた兵たちは白岩が突然に現れたように感じ「えっ」と言った。
 次の瞬間、白岩は発令所の垂直梯子を一か所だけ掴んで上階の司令塔の垂直梯子に飛び移る。そしてやはり梯子を一か所だけ掴むと、その次の瞬間には天井のハッチをバンと叩いて、すぐさま落下に移る。その落下で発令所部分に落ちると途中で手すりを叩いて体を梯子から遠去けて足を前後にしてふわりと着地して、前に駆け出す。
「は、速すぎる」
 呆気にとられてる兵に望月が解説してやる。
「今の動きは憎たらしいな。真下の安全マットに着地すると次の足を踏み出す速度にロスが出るから、空中で手すりを叩いて態勢を変えてマットを避け、すぐ走れる状態に足を前後した形で膝や腿のクッションを最大限に使って音も立てずに着地したんだ。爺のくせに憎たらしい」

 走り終えて前部兵員室で眺めていた工藤艦長も驚きで口が腑抜けのように開いたままになった。
 防水扉に足がピンと現れたと思ったら凄まじい前傾姿勢の白岩が弾丸のように通り抜けて、魚雷発射室へ通じる防水扉を叩いてそれを足で踏んで勢いを吸収し、その場でバク転して止まったのだ。
「あっ」
「えっ」
「何だ」
 あまりに凄すぎて兵たちからは疑問符のような感想しか出てこない。
 
「記録は9秒57……。9秒57……」
 伝声管から報告が発令所にゆき放送で復唱された。
「ただいまの記録は9秒57です。9秒57です」
 なんと分隊士の記録を10秒も縮めてしまったのだ。

 矢吹の隣にいた上等兵曹が首をひねる。
「タイムが半分なんて奇術じゃあるまいし」
「単なるアルタードステートだよ」
 矢吹は答えて隣の望月に肘を突かれた。そういえば昭和時代にはまだない言葉だった。矢吹は口を噤んだ。
「何ですか、それ?」
「いや、昔、そんな言葉を聞いた気がしたが勘違いかな」

 白岩が幼い頃から瞑想して意識を制御することを教えられ、命がけで体を鍛えられて来た結社の実働員だからこそマークできたのである。
 それには己の精神と肉体を同時にコントロールして、いわゆるゾーン心理の極致、変性意識状態アルタードステートに到達しなければならない。その状態になることで、物理的時間を超えた速さで、なおかつ物理的法則の制限を超えたところまで肉体を動かし、あるいは究極的には肉体を変形出来るまでになるから、科学常識を超えた成果を達成できるのである。現代の物理的筋力アップに偏ったトレーニングでは絶対に到達できない領域だ。
 
 工藤艦長が驚きながら白岩に歩み寄る。
「まったく大佐には驚かされてばかりです。それにしてもこの超人的な速さは一体どうやって身に着けたものですか?」
 もちろん白岩は変性意識状態アルタードステートを利用したなんて答え方はしない。
 呂号第59潜水艦で訓練中にした説明を繰り返すだけだ。
「いや何、祖父の代まで居合抜刀術のキョウカ流の師範だったことから、幼い頃から祖父に厳しくしつけられてな」
「はあ、なるほど、居合抜刀術の速さですか。納得しました」
 分隊士の小諸中尉も素直に感嘆するしかない。
「司令の下で働けて幸せです。どうぞ今度秘術を教えてください」
「秘術なんてないぞ。自分の習慣で決めた動きを押し通すのではなく、場所場所の形に合わせて逐一足の運び、手の運び、体幹の使い方を変えるだけだ」
 
 とにかくここでも白岩は圧倒的な身体能力で乗員たちの心を鷲掴みにした。

   ○

 1944年12月25日0237時、伊号第12潜水艦はいよいよ日本に近づいて八丈島の北、御蔵島のすぐ南を通過した。
 敵艦船、特に潜水艦の動きに警戒を怠るわけにはいかないが、さすがに敵哨戒機が日本の潜水艦をMAD磁気探査機で探るという運用は想定しづらくなる。
 そこで時々深度30メートルから20メートルに浮上して長波の艦隊司令部が提供する情報やニュースを受信することが行われた。これによって関東近海でも敵潜水艦が何隻も行動しているのが知れた。
 ただ第二次大戦中の魚雷は追尾装置を持っておらず浅い水中を進む設計だったので、素早い潜航が出来るならば致命的な被害は受けないと考えてよい。もちろん伊号第12潜水艦は訓練の甲斐もあり、全没まで30秒かからなかったから、敵が潜水艦だけならば恐るに足らないと言えたのである。

「いよいよ日本に帰ってきたな」
 白岩が言うと工藤艦長も顔を崩した。
「はい。ハワイの東から延々と尺取虫のごとき歩みで来て、さすがに疲れました」
「それも本日でおしまいだ」
 そこで山村航海長が気象情報を披露する。
「天気は良いようですから、富士山が我々を迎えてくれる筈です」
「それはありがたいことだの。
 泊地に着いたら我らが目標について乗員にも公開して士気が弛まないようにするから心得ておいてくれ」
 すると山村航海長が尋ねる。
「目標の艦名は何ですか?」
「まだ何か月も先の事ゆえ艦名まではわからんのだ。しかしそれが何を積んでいるかを明かす。既に艦長には話したが、これは真に許すべからず新兵器なのだ」
 工藤艦長が怒りを思い出して唇を噛んだ。
「このまま海上を行きますか?」
「いや。敵機も朝の挨拶で驚かしに飛んでくるかもしれんからな。絡まれて機銃で大事な艦体に穴でも開けられてはかなわん。11時まで寝てよう」
「わかりました」
 工藤艦長が命じる。
「両舷停止、無音潜航、深度90」
 こうして伊号第12潜水艦は伊豆の石廊﨑の南南西92キロで最後の潜航を行った。

   ○

「あ、そこを左に曲がって下さい。もうすぐです」
 古相寺は巫女服を着てトラックの助手席に座り道案内をしていた。もちろんコード端末機を使い現代の壬生野が教えてくれる道順をそのまま指示してるだけなのだが。
 巫女服は潜水艦の停泊する横が大瀬神社でありご挨拶とご守護を願うために公子に頂いたものに久しぶりに袖を通したのである。
「あいよ。巫女さんの道案内なら鬼が出ても安心だなあ」
 ねじり鉢巻きの運転手は笑いながら言う。
「荷台の海軍さんは落っこちてないだろな?」
「あ、大丈夫です」
 古相寺はちらと後ろを振り向いて答えた。松丸も休暇を取り紺色の軍服を着て荷台に乗っていた。
「こんな田舎で大量に食い物を運んで何をおっ始めるんだろ?」
「海軍さんが陸に上がってなさるのですから訓練じゃないですか」
「しかし、巫女さんがお祓いに行くんだから、船も沈まなくて助かるだろうね」
「さようです。神様のご加護です」
「何人ぐらいなんだろね?」
「60人ぐらいと聞いてます」
 潜水艦勤務は過酷だとさんざん聞いてきたので、とりあえず乗員に揺れない畳の上でゆっくり寝てもらうことが何よりだ。そのため公子と相談し伊豆沼津の航護寺という寺の宿坊に宿泊する手筈を整えていた。次に重要なのは117名の胃袋を満たしてやることだ。そこで今、公子が手配してくれた米や野菜、果物を満載して向かっている。
 もちろん一度に全員が上陸したら潜水艦をその場に維持したり万が一の敵襲時に潜航したりが出来なくなるので、半分ずつ交代で上陸して次の出撃までの半年近くを過ごす予定なのだ。そこから60人という数字が出たわけだ。
 ただ運転手には潜水艦について秘密にしておきたかったので、寺から潜水艦への生ものの補充は古相寺と松丸でなんとかしなければならない。

 まもなくトラックは航護寺に着いた。
 松丸が荷台から飛び降りて「ご住職に挨拶してくる」と早足で行くのを古相寺も追いかける。運転手は早速荷台から重そうな米袋を下ろし始めた。

「ごめんください」
 松丸が声をかけると住職と三十代の女性が奥から出て来た。
「ご住職、お世話になります。海軍第6艦隊の松丸一等兵曹といいます」
「これはこれは、いかいご苦労じゃった」
「お世話になります、古相寺と申します」
 古相寺が言うとモンペ姿の女性が驚いた。
「巫女さんまでいらしゃって」
「はい、大瀬神社の方にもご挨拶がありますし」
「そりゃあまたご苦労様です」

 そこで松丸が尋ねた。
「それで大瀬神社の側に泊まってる艦艇に生ものを運びたいのですが、リヤカーなどありますか」
「お父さん、リヤカーてあったかね?」
「あるだろうがな。なんせ息子たちが皆海軍に志願して行ってしまったけん」
「海軍ですか?」
「ああ、うちの先祖は熊野から来た水軍で大瀬神社と一緒でな。ご先祖も海軍だから皆当たり前のように海軍を志願して行ったわ」
「そうですか、水軍でしたか」
 松丸が頷くと古相寺も言葉を挟んだ。
「私はお寺の名前に航空の航の字があったのですっかり飛行機に関係するのかと勘違いしてました。そうじゃなくて航路の航の字だったんですね。そういうご縁があったんですね」
「そういうことじゃで、ついてこれば」

 住職は雪駄を履くと松丸と古相寺を連れてお堂の裏手にまわった。
 そして物置の扉を開けると、中の材木や薪の積み荷やらをかき分けて壁に立てかけてあったリヤカーを指さした。
「これを使ってくれ」
 松丸と古相寺はとりあえずリヤカーを物置の外に出した。

 ひと安心して松丸と古相寺がトラックのところに戻るとねじり鉢巻きの運転手は既に七割方の荷物を荷台から台所前に運んでいた。
「ああ、すみません。殆どおろして頂いて」
「なあに運転と力仕事が俺の取り柄やから、あやまる必要はないやね」
 あっという間に積み下ろしは完了した。

「どうぞ蜜柑とお茶を召し上がってください」
 住職の娘さんからお茶をもらうとねじり鉢巻きの運転手は嬉しそうに言った。
「ああ、やはり本場静岡だ。蜜柑はうまいし、お茶も味がいいなあ」
「是非持って帰って召し上がって下さい。うちは檀家から余計集まってきますで」
 住職の娘さんが速攻で蜜柑とお茶の大きな袋を運転手に持たせた。
「あれ、これはありがたい、申し訳ありませんな」

 ねじり鉢巻きの運転手がトラックで去るのを見送ると、松丸と古相寺は生野菜や果物などをリヤカーに詰め込んで4キロほど離れた大瀬神社を目指した。
 少し進んだところで松丸が聞く。
「ちょっと冷えますね、古相寺さん、そんな巫女の衣装で寒くないですか?」
「下に七分袖を着てますから、そんなに寒くはないです」
「いやあ、それだけじゃあ冷えますよ。そのまま歩いてたら、なんでしたっけ、あ、ノリトだ、ノリトを唱える時に頭が凍ってど忘れしてしまいますよ」
 そう言うと松丸は紺色の軍服を脱いで古相寺に羽織らせる。
「コート代わりに着て下さい」
「こんなん困ります、松丸はんが風邪引いたら困ります」
「自分は特務員ですからこれしきの寒さは裸でも平気ですから、さあ」
 松丸は古相寺の手を強引につかんで軍服の袖に押し入れてしまう。
「そっちも」
 松丸に強引に軍服を着せられて、古相寺が文句を言わなかったのは実際に寒さを感じていたためだ。
「あったかいわ、松丸はん、ありがとう」
「いいえ、女子おなごに優しうするは当然のことですし、そのうえ……」
 松丸が言葉を引っ込めたので古相寺は反射的に聞き返した。
「そのうえ?」
「いや、これ以上言うといつも叱られるから言いません」
 古相寺はすぐ悟って思わずポッと頬を染めて軍服の襟を押さえた。

   ○

 伊号第12潜水艦が浮上して艦橋に登った哨戒員は思わず大きな声で報告した。
「陸が見えます、富士山も小さく見えます」
 工藤艦長は双眼鏡で空をぐるりと見まわして伝声管で聞く。
「電探、感度は?」
「艦橋、電探感度なし」
 発令所でやりとりを聞いていた白岩が工藤艦長に伝声管で言う。
「艦長、伊豆半島の内側に入ったら皆に富士山を見せてやろう」
「はい、そうします」
 
 艦橋のハッチが開いており送風機が作動しているので、今まで汚れて澱んでいた空気が発令所のあたりから入れ替わってゆく。
 乗員達の顔も心なしか明るくなったように感じる。
 白岩は士官室でトランプをしていた望月と矢吹を司令官室に呼んだ。

「どうや?」
「かったるいな、これから半年もぶらぶらしてなきゃ出撃できんのは」
 望月が言うと矢吹が奇抜なアイデアを出す。
「あのタイムマシンで、待ち時間をハショったら楽なのにな」
 白岩が笑う。
「この艦はあの境内の何メートルに収まらんぞ。それよりこの半年は半舷上陸で乗員の半分は寺の宿坊に泊まり、畑でも耕すことになるだろう。しかしそれだけでは士気が持たんから、君らに教官として乗員を鍛えてほしい」 
「まあ士官室でゲームしてるよりはましだな」
「同意」
「頼んだぞ。それからインディアナポリス撃沈作戦でも君らに飛行機で活躍してもらおうと思うとるから頼んだぞ」
「そう聞くと聞こえはいいが、あんな小さい偵察機でどう活躍するつもりや?」
「爆弾搭載量150キロとか言ってたぞ。零戦より少ないわ」
「まあ、そこらは任しとき」
 白岩は自分の頭を指さして言った。

 その時、艦橋の工藤艦長が伝声管で命令した。
「合戦準備用具収め」
 それを受けて伝令が宣言する。
「ハッチ開け」
 これで艦内にあるハッチが一斉に開放された。手空きの乗員達は待ちかねていたようでぞろぞろと梯子を登って甲板に出て太陽を浴びてまくり、外の空気を吸いまくる。

「帰って来たぞー」
「うおー富士山だあ」
 進行方向に冠雪を抱いた富士山がしっかりと見えていた。
「万歳ー、万歳ー、万歳ー!」
 誰が言うともなしにあちらこちらで万歳の声が響き渡った。
 

 

 

 つづく