幸運なストーカー

一人暮らしの窓

 

 俺は、毎朝、よくすれ違う女に興味を持った。
 恥ずかしい言葉で言うと一目惚れってやつだ。

 女はスーツにスカートという格好で、プラダかヴィトンのトートバッグを肩にかけて早足で歩いてくる。髪はロングで時々、コームで後ろをアップしてる時もある。
 初めて俺と目が合った時は、一瞬、女は微笑んだように見えた。
 もちろん、そう思ったのは俺の一方的な勘違いの可能性が高いわけだが、それ以来、勤め先へ急ぐ女はすれ違うたびに、一瞬、私を一瞥するようになった。警戒されてるようだ。まずいな。
 時間帯は朝といっても、通学ラッシュの終わった後だから、女の勤め先は10時始まりの横文字の会社かもしれない。

 しかし、もとより話し下手の俺は女に声もかけられず、ただすれ違うだけだ。
 そもそも、こんな忙しい時間帯に恋の告白とかおかしいだろ、普通。
 さらに、こんな時間に寄り道してる俺って、まともな恋愛対象ではないよね。
 だが俺の恋心と思い込みは勝手に持続強化されてしまうものなのだ。

 暇な俺は夕方もその通りの植え込みの死角からこっそり女を見張る事にした。
 女の帰る時刻は大体7時過ぎだ。

   ◇

 ある夏の終わり、あまりの暑さにボーッとしてた俺はそのままウトウトしてしまい、そこを逆に女に勘づかれてしまった。
「キャーッ」
 女の声に俺は慌てて逃げた。
 ふーっ、危ないところだった。
 だが俺はなぜか女の悲鳴をそれほど深刻なものには受け取らなかった。人は何度も目にするにつれて不審が親しみに変わるものかもしれない。なんかの映画でそんなセリフがあったろう?
 俺はさらに女に近付く決心をした。
 数日後、夕方、帰る女の後を30メートルほど距離をおいて尾行した俺は女が自分のマンションに入る姿を見つけた。

 よし、今度はもっとお近付きになるぞ。この辺に引っ越して来ようかな。そうも考えたが、結局、俺はもっと短絡的な行動を決心した。

  ◇

 ふふっ。

 その朝、俺は電柱に身を隠したまま、下品な笑みを浮かべ、仕事に急ぐ女の後ろ姿を見送った。
 俺は、その女の単身者向けマンションをぐるりとひとまわりすると、一階のひと部屋が無用心にもサッシが2センチほど開けっ放しのままなのを見つけた。

 俺は一階のバルコニーの手すりを超えてサッシの間隙から部屋に忍び込む。
 瞬間、アロマテラピーの香水の匂いがした。
 見渡すと床には女が持ってたプラダのトートバッグがあり、テーブルには女が昨日していたルビーのアクセントがついたコーム型の髪留めがあった。

 なんて運がいいんだ。いきなり大当たりのようだ。
 どういう風の吹きまわしか知らないが、神さまも俺に味方してくれたらしい。

 俺は全裸で女のベッドに寝そべってみる。
 今の気温ならいくらでも昼寝できそうな心地よい温もりだ。 
 ふと枕元で彼女の髪を見つけた。
 ダークブラウンに染めている髪だ。
 続いて枕もとのくずかごをひっくり返してみる。
 マスカラをふき取ったコットンやら、コンビニのレシートやら、まるめたティッシュやらが床に広がった。
 俺は紙くずに埋もれていたアイスクリームの小さなカップを見つけた。
 カップの底には溶けたアイスがバニラクリームとなって残ってる。
 俺はその溶けたバニラクリームを舐めて、至福の時を味わった。
 へへへっ、うまい。
 それから俺は眠くなって、全裸のままベッドで眠り込んでしまったらしい。

  ◇

 ガチャリ、ゴトゴトと玄関で音がしたが、俺は夢うつつのためすぐに飛び起きて隠れる事が出来なかった。
 女がこの部屋のドアを開けた。
 俺は頭だけ持ち上げて女を見た。

「キャー」
 女は大声を上げた。

 しかし、俺の意識は逃げようとするのだが、体はまだ寝ぼけてるのか動けない。
「どうして、ここだってわかったの?」
 女は言いながら驚きのあまりバッグを床に落とした。

 だが、女は逃げるのではなく駆け寄ってきた。
 気は焦りながら俺は身動きできない。
 女は突然、俺を両手で持ち上げ、抱き締めた。
「きゃあ、可愛いーっ!
 前からお前のこと気になってたんだよお」
 女は俺の頭を撫でて、肉球をモミモミする。
 うわっ、そこ、だめ、こそばゆいって。
「わー、プニプニだ」
 だめだっつーの。こそばゆゆゆーっ。
「プニプニ~」
 俺はちょっと怒って「ニャー」と鳴いた。
「ほんとはだめだけど、こっそり飼ってあげるよ。
 だってお前が勝手に部屋に入って来たんだから、仕方ないよね?」
 女は誰かに弁解しながら、俺の口に自分の鼻の頭をくっつけ、それからキスした。
 
 へへっ、女からキスするとは大胆なやつ。
 ま、俺の場合、なぜか、こうしてくる女、多いんだけどね。

 女は猛ダッシュでコンビニに行き、キャットフードを買って戻ってきた。
「はい、お食べ」
 うほほーい、人間用缶詰よりうまい最高級猫缶プレミアムだぜ。
 俺はムシャムシャと猫缶をたいらげ、満腹になって、女の膝で首を撫でられながら、ゴロゴロと喉を鳴らし、またうとうとしだした。 

 へへへっ、この町内でも愛人ゲットだな。
 俺ってストーカーしても、結局、モテるんだよね。
 あれッ、なんだろ、今、人間のオタク野郎の羨望の眼差しを感じたぞ。
 きれいなシャム猫に生まれてよかったよ~。       了