あかなへてどこ?
信長の会見後の道三について信長公記で、
途中、あかなべと申す所にて、猪子兵介、山城道三に申す様は、何と見申し侯ても、上総介はたわけにて侯。と申し侯時、
道三申す様に、されば無念なる事に侯。山城が子供、たわけが門外に馬を繋べき事、案の内にて侯と計り申し侯。
とあります。
意訳すると
あかなへというところにさしかかると(物思いに沈む)道三に猪子兵介が「信長はどう見てもうつけでしたな」としたり顔で云ったところ、
道三は「無念だが、我が子たちは、信長殿の外様家臣となることは(案外ならぬ)案の内ほど確かなことだ」と断言する。
これは有名な場面ですね。
この【あかなへ】という場所がどこなのかとぐるぐる地図を言葉をいくつか変えて探したらありました。もう稲葉山城に5キロないほど、加納口の手前です。
漢字地名は茜部〇〇です。(読みはあかねべ からの あかなべみたい)。大昔は濁点読みはないですが、この漢字は想像つかないわ。
年齢的に猪子兵介ではないそうで。
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