信長公より公認を頂きました!
信長公より公認を頂いた小説「信長 天魔王」を執筆中です!
なぜ信秀は幼少から吉法師信長を別居で育てたのか?
吉法師の乳首噛み癖により乳母が次々と替わっていたが、養徳院が乳母になるとなぜ噛み癖は止まったのか?
なぜ平手政秀は切腹したのか?
これらに仮説を立ててみたら、突然、すっきりと謎が解けたのです。
その仮説が「吉法師急逝」です。
信秀は何かの啓示を受けて何があっても吉法師を嫡男にすることを決意。
吉法師の乳首噛みに切れた乳母が発作的に吉法師を床に叩きつけ頓死。
傅役の平手政秀は身代わりを立てての吉法師存続を提案。
ところが現場にいた政秀の息子は信長元服後に馬をねだられて喧嘩になり秘密を暴露してしまう。
申し開きのため政秀は切腹……。
こうして書き始め、14章を書いてたある夜、声がして「よう見抜いたな」と。
信長公降臨です。私はびっくりしてうっかり「信長様?」と言ってしまい
信長公に「なんだとお!」とお怒りをかってしまいました(汗)
諱のことは知識としてあっても、いきなりだとミスりますね。
諱は地の文ではそのまま敬称なしで使うとしても、会話文では親以外は通称が原則。
それから信長公は教えてくださいました。
信長公記も含めて、その生涯を描いた文書に欠落やまちがいが多くて不満を持っておられたのです。そこで私にいろいろとこうであったと明かしてくれて、今回の「信長 天魔王」を書き進める原動力となったのです。
例えば、これは誰も論じてないと思いますが、天文十七年の小豆坂戦の撤退時に三郎五郎信広殿は勝手に安祥城守将に替わったそうです。
理由は信長より自分がという功名心だったかもしれませんが、これは明らかな軍律違反であり、信秀は大きく落胆して、ここを境に病を発症するきっかけになったようです。
小説なので多少の演出もありますがそこは大目に見てくださるようで、骨格は真実によって構成された信長伝となります。
どうぞ公開をお楽しみにしてください!
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