信長天魔王 5章と6章

信長天魔王 上巻

 

信秀叛旗

 こうして信秀は側室となったおてふと恋の叶った睦まじい日々を送っていたが、胸に常にあるのはあの上洛の折りに見た都の荒廃した悲惨であり、戦の世を終わらせるために己が邁進するという決意であった。
 そのために次になすべきは大和守達勝からの独立である。

 信秀は五月晴れの下、父と談合すべく宗兵衛と弥太郎を従えて馬を飛ばした。
 途中、生駒屋敷に立ち寄り馬に水をやり休ませてやる。生駒屋敷は間口が二十間、奥行きが三十間あり、へたな砦より大きく小折城とも呼ばれるていた。馬借の商売と美濃尾張間の交易を生業としているが、場所柄、賊の問題もあり抱える用心棒は三十名に及び、信定に保護を請うて士分としても仕えていた。それで信秀も気安く利用させてもらっている。

 すると当主の生駒家宗が出て来た。
「これは弾正忠の若殿、ご機嫌ようございます」
「世話になるのう。近頃、わが父はこの辺りを酔ってふらふらしてないかの?」
 実際のところ信秀はまだ数え二十一歳だが、当主となると年上の相手にも父のするような年寄り臭い話し方になる。
「大丈夫ではございますが、やはりいぬゐ様を亡くした頃より酒はお弱くなられたようでございます」 
「まあ、あまり飲ませんでくれ。落馬されては後が大変じゃ」

 込み入った話になるが、おてふの母はなんと生駒家から土田秀久に嫁いでいたのだった。しかし土田秀久と生駒家宗の祖父家広が対立したために離縁されて生駒屋敷に出戻ってしまったという。その理由についてはおてふは聞かされてなかった。

 信秀一行は屋敷に上がり茶を馳走になった。信秀は土田秀久と生駒家広が喧嘩した理由をどうしても知りたくなった。
「家宗殿はわしが土田秀久の娘を嫁に貰うたこと知っておろう」
「はい、大殿から聞いておりましたが」
「それでわしを嫌うとかはないのかの?」
「まさか、そのようなことはございません」
「いやな、嫁にこちらの家広殿と土田の秀久殿が喧嘩して、嫁の母が離縁されてこちらに出戻ったこと、聞き及んだのだ」
「そのことでしたら些細な事ですので、お気になさらないでくださいまし」
「嫁に聞かされて以来、気になってのう。些細な事なら明かしてくれまいか」
 家宗はひとしきり間を置いて頷いた。
「話すほどのこともない理由でございます。
 要は油、炭などの値段が上がったのを土田家では手前共が儲けのために上げたと決めつけられ喧嘩になったそうです。ご存知の如く品物には相場がありますので、例えば美濃で多く買われて品が乏しくなれば普段は取引のない熱田湊の商人に頼むとなります。そうなりますと商人は尾張より遠方から買って運びますので船代もかさみ高くなる。土田家の秀定殿にはその仕組みがよく呑み込めなかったようにございます。決して悪い方とは思っておりません。ただ勢いで離縁されて母は子を置いて泣く泣く出戻ったのでございます」
 信秀は安堵した。
「何じゃ、蓋を開けてみればその程度の喧嘩か?」
「まったくこの程度で」
「笑い話のようにも聞こえたぞ」
「どうぞ嫁御様にも安堵されるようお伝えくださいまし」
「うむ。聞いてよかったわい」
 信秀はこれは機会あれば和解させたいものじゃと思った。

   ○

 信秀一行が木ノ下城に入ったのはまだ明るい申の刻であった。
「父上、達者でございましたか?」
「信秀、よう来たのう」
「飽きたかもしれませぬが、干し鮑に干し蛤でございます」
「ありがたい。それにお主は飽きるほど来ぬではないか」
 信秀は碁盤に並ぶ白黒の石を見つけて、
「囲碁とはじむさい遊びをされとりますな」
 信定は顎下の髭をつまんで、
「体を鍛えるはもう効かんが、頭はまだ新しい技を覚えよるでの」
「なるほど」

 侍女が茶を運んでくるのと温かい風が通り抜けるのが重なった。
「良い時節じゃわい」
「時に父上は生駒家広殿が土田秀定殿と喧嘩したのはご存知でしたか?」
「なんだ? かようなことがあったかや?」
「はい、おてふから聞いたのです。それでおてふの母は離縁されて生駒屋敷に出戻ったのだと」
「ふうん、まあ、わしらに直には関係ないから土田が話さずとも問題なかろうが」
「その原因が詰まらぬことで、今、生駒屋敷で聞いたのですが、相場の仕組みをよう知らぬ土田の殿が生駒が収めた品が高いと文句をつけたのが始まりだったらしく」
「それで離縁かや?」
「大袈裟に過ぎまする。土田も生駒も我が弾正忠家の陪臣でございます。ここはなんとか仲直りさせてやりたいものです」
「もっともじゃ。よし、今度、土田と生駒に話してみよう」
「父上が口説けば丸く収まります。安堵いたしました」

 そこで信定は碁盤の石を片付け始めた。
「かような話に来た訳ではあるまい。閑話休題として、本題はなんじゃ?」
「前にも申し上げた通り、今の都の荒廃ぶりはすさまじきもの。わが本願はこの戦の世を手仕舞いいたし、民が栄える世にすることでございます」
「ふうむ、大きく出たものよ」
「となりますといつまでも大和守達勝の下にいるわけには参りません。ただ弾正忠家のみで戦うのはきつうございます。ついては三奉行の因幡守か藤左衛門のどちらかを味方に引き入れることは出来ましょうか?」
 信定は腕組みした。
「さて。腰巾着どもにそのような気概があるやなしや」
「それがしが思うに昨年の武者揃えにより因幡守と藤左衛門も大和守達勝にだいぶん不満を抱いたように見受けられます。京まで兵どもの兵糧自腹で行かされて、恩賞など一文もなく、得たのは達勝への大刀ひと振りですからな」
「それは少しはあるやもしれんが、それで共に叛旗を挙げるまではなかなかに難しかろうよ」
「父上にしてはいつになく弱気でございますなあ。藤左衛門は腰巾着ぶりが今も強うて調略は難しそうですが、因幡守だけでも引き入れればひと息に勝算が上がると見ておりますのに」
「因幡守な。まあやってみる見返りはあるやもしれん」

 信定は碁盤に白石ひとつと黒石みっつを並べてから、その対辺に白石ふたつと黒石ふたつを並べてみせた。
「戦にて一隊で三隊を引き受けるはまず難儀なれど、二隊と二隊の戦ならば、へぼと組んでも立ち回りさえ誤らねば勝機は拾えるもの」
「では話してみましょう。父上にもご出陣いただけますか?」
「出陣はいたすがあてにすな。この城にも少しは守兵を残さねばならぬゆえ、へぼへの手下ぐらいにしかならん」
「それこそ土田や生駒にも後詰めを頼んで出陣くだされ。へぼが頼りないゆえ父上の軍監こそ大事にございます。これで勝てます」
「うむ、わかった」
 信秀の顔が急に赤らんだ。
「さすれば。幸い津島も家が増えておりますし、近くの百姓からも募ればさらに勝幡も兵を増やせましょう。決行はこの秋、いや冬あたりに」
 
「それだけかや?」
 信定が問うと信秀は息を止めて父を見返した。
「他に何かありまするか?」
「達勝の娘はいかがするつもりじゃ?」
「あっ、」
 信秀が間の抜けた声を漏らすと、信定は語気を強めてまくし立てたた。
「ここは娘を斬って大和守を逆上させ兵法を誤らせるのが上策ぞ。さすれば、清州城にじっとしておればよいものを、大和守は憎きお主に我も忘れて遮二無二に打って出よう。後はお主が正面から一所懸命に受けている間に、わしが率いしへぼ隊が後ろに回って大和守に止めを刺せる。
 これが戦ぞ。もしお主が尾張一国まとめるならば、それぐらいのことはせねばならんのだがや。なんとなれば尾張は織田の近親縁者同士の群雄割拠になるしかないのじゃぞ。縁のある者を斬らずば尾張統一など出来ん」
 信定の声が止むと、辺りの音までがすーっと遠くに引いたようだった。

 父の説かれる兵法こそ正論。我が本願を成就するにはまず正室を斬ることから始めなければならない。信秀はごくりと唾を呑み込んだ。
 どれほどの時が流れたのだろうか。
 気が付くと信秀は今しがたの心と違う言の葉を吐いていた。
「あれは、離縁して達勝に送り返しまする」
 信定の目がじろりと睨んだ。
「送り返す? そのような温い兵法では尾張一国すら取れぬぞ」
「斬れませぬ。それではせっかく授かった我が将となる名了丸を失います。仮に傍に残したとして母を斬られた者の心は信じられませぬ」
 信秀の声がそう告げて止んだ。

 ひとしきりあって、信定の笑いが起こった。
「はははっ、それでよいのじゃ。
 お主は心優しきいぬゐの子じゃからな、それでよいのだで」
「申し訳ありませぬ。必勝の策を説いていただきながら」
「よいと申しておる。謝るな。わしの本音もお主と同じだでの。お主もせいぜい温い兵法でやってみるがよい」
 信秀は己の不甲斐なさに涙が溢れてきた。
 すると信定が慰めにかかった。
「叛旗もひとつはよきことがあろうず」
「はて、何でございますか?」
「正室を離縁して大和守に送り返し、その子、名了丸は廃嫡して妾腹となす。次いでおてふが正室に上がり、おてふが子を産めば弾正忠家の嫡男に据えられる算段じゃ。お主もその方がよかろうが」
「なるほど。それは嬉しきことですな」
 おてふの子はまだ産まれてないが、おてふの子を嫡男とした方が安心できよう。母を失った名了丸にとっても嫡男の責を負わされるよりは気楽でよかろう。
 信秀はたんにそう考えたが、信秀の叛旗がその後の織田弾正忠家の行く末にどう響いてゆくのかなど、まだ誰にもわかる筈もなかったのである。

    ○

 いつものように藤左衛門が一番先に清州城から馬で退出し、因幡守も続いて退出した。わざとゆっくりと退出した信秀は弥太郎を従えて因幡守の城を訪れた。
 門番に問われた信秀は「播磨守殿に用がござる」と言った。

 書院に通されたものの、播磨守は困惑の顔である。
「弾正忠殿、一体、何用でございますかな?」
「いや、城を下がろうとしたら物を拾いましてな。これはそれがしの前に出られた播磨守殿に違いないと届けに寄った次第」
 信秀は布の包みを懐から取り出す。
 播磨守は心当たりはなかったもののほっと安堵したようだった。
「これはご丁寧に痛みいる」

 そこで信秀は声音を変えてぼやいた。
「それにしても大和守殿のやりようには困りますな。ほれ、先の武者揃えでござる」
 播磨守はつい「ああ」と合いの手をいれた。
「我らには何の恩賞もなく大和守殿だけが大刀をひと振り貰ったのみ。そもそも兵の兵糧の荷駄は総大将が全て仕切るが戦国の常道たるに、我らにその兵糧を負担させるとはひどいやりようと思われませぬか?」
「確かにあれには少々困り申した」
 播磨守が同意したので信秀はよしよしと思った。
「あれが無駄でなくてなんでありましょうや。どうも大和守殿は吝嗇がすぎまする。
 賓客が来られると、自分で接待するではなく、それがしら三奉行に接待させるのも己の費えを少なくする工夫でしょう。
 また武者揃えですが、連れて行けば行けたものを主筋の武衛様を一人清州で留守をさせるとは非礼極まりない。万が一、本当に濃三江が攻めて来たら武衛様では守兵を束ねることすら出来ますまい。城が危なくなったらどうするおつもりだったのか」
 播磨守はつい頷いた。
「確かに武衛様の父義建殿は達勝殿の父達定殿を自刃させました。だからといって先代の恨みを今に持ち込むのは武士のすべきことではございません。武衛様を担ぎ上げるふりをして、嫌がらせをして弄ぶのは卑劣な意趣返しとしか思えません。
 播磨守殿もそう思われませぬか?」
「うむ、たしかに大和守殿のやりようにはいくつか落ち度があるとわしも思ってはいたのじゃ」
 その言葉に信秀は唾を呑み込んで明かした。
「ご同意くださるか。やはり播磨守殿は武士の心をお持ちでしたな。
 実はそれがしは既に兵を二千七百動かせまする、そしていざとなれば木ノ下城の我が父が八百合力いたします。これに播磨守殿の手兵を加えていただけば四千余りの兵数。大和守殿と藤左衛門の兵を合わせても敵ではございません」

「謀反、でござ……るか」
 播磨守の声が緊張のためにかすれた。
 信秀は余裕を見せるため笑みを作って浮かべた。
「いえいえ、謀反ではございません。我らの真の主筋は武衛様ですぞ。まず播磨守殿は武衛様をこっそりお逃がしいただき、我らは武衛様をお救いするために横暴な大和守殿に対して天誅を加えんと立ち上がるのでございます。主筋をないがしろにしてるのは大和守の方ですぞ」
 播磨守の口が、確かにと動いたように見えたが、声は聞こえなんだ。
 そこで信秀は包みを開き扇子を取り出して播磨守に差し出した。
「その扇子と同じものをそれがしも持っております。師走に入って評定の間でそれがしが同じ扇子を開いてみせたら翌日、決行の合図でございます。
 昼に播磨守殿は武衛殿に商人が着物小間物を売りに来ておりますと誘い出して虎口門内にいる商人に案内してくだされ。それがしは腹が痛うなって早退いたします」
 信秀はゆっくりと付け加えた。
「謀反ではございませんゆえ、気をお安う持ってお掛かりくだされ。領地は今の倍になりましょうぞ」
 播磨守は震えているのか頷いているのか、しばらく信秀を見詰めていた。

   ○

 信秀はすでに前日、件の扇子を開いて眺めながら「いよいよ正月の支度などせねばなりませぬな」と呟いてみた。すると播磨守は目をつぶったままゆっくりと頷いた。
 そこで商人は本日、朝から城に入り、既に大和守の室達や侍女たちに着物を売って大きな行李をほぼ空にしている筈である。
 評定の間ではいつものように何通かの文書の審議と承認が終わって武衛様は南曲輪くるわに、大和守は本丸内の己の御殿に退出した。

「それがし大和守殿への歳の付け届けは何にすべきか悩んでおります。藤左衛門殿はもう考えられましたか」
「今頃、何を申される、師走も半ばじゃぞ。とっくに注文しておるわ」
 藤左衛門がばかにしたように見下した。
「それがし、昨日も何がいいかと味を比べておったのですが、どうも食べ過ぎで腹が痛うなってきました。食当たりやもしれませぬ」
 すると藤左衛門が笑った。
「今日の仕事は済んだゆえ帰られよ。臭い放屁でもされてはかなわんわ」
「はっ、お言葉に甘えさせていただきます」
 信秀は礼をして播磨守が前日と同じように頷くのを見て立ち去った。

 信秀はそのまま馬で一里西にある鎌倉時代大矢安資が築いた大矢城跡に向かう。
「殿、首尾は?」
 甲冑姿の家老平手政秀が声をかけると信秀は馬から飛び降りた。
「上々じゃ。商人も門内におった。播磨守も頷いたぞ」
 そこには勝幡城から大挙して来た軍勢二千四百が待っていた。父の信定は今頃、手勢七百を連れて清州から三里北東にある小牧山の裏まで来ている筈である。
「播磨守の城は動いたか?」
「はっ、播磨守殿が兵六百、城を出たと細作の報せでございます」
 信秀は素早く鎧を着けて馬にまたがって兵たちを眺めた。
「皆の者、これより清州城を攻め落とすぞ」
 さらに「えいえい」と声を張り上げると兵どもが「おうー」と一斉にどよめいた。
「前進」
 軍配を東に振るうと、軍勢は一斉に進み出した。

   ○

 清州城といっても、この頃はせいぜい二階の高さの櫓しかないし全方位に向いてはいない。周囲は田んぼと畑ばかりだが、それほど遠くまで見通せるわけではなかった。
 見張りの者がまず気付いたのは多く鎧の触れ合う音、足音、蹄の音だった。それは何度も耳にした者には不気味な地獄からの唸り声のように思えるらしい。
 やがて塀の一番近い方角に登った見張りが叫ぶ。
「西より軍勢が近付きます、およそ八百……いや千二百」
 近付くに連れ軍勢ははっきり見えてくるのだから数があやふやなのは致し方ない。
 軍勢から法螺貝が吹き鳴らされた。これで軍勢の戦闘の意志が明らかになった。
「軍勢およそ二千」
「旗印はどこだ?」
「まだはっきりとは……あっ、あれは織田木瓜」
 そう言ったところに天から弓が十、二十、三十と降り注いだ。物見は腕を射抜かれて「うわ」と叫んで飛び降りた。
「織田のどこだ?」
 蹄の音が櫓に一騎近付いて大声で叫ぶ。
「我は弾正忠配下、赤川三郎右衛門じゃ。大和守殿に天誅いたす。潔く出合え、出合え」
 名乗りを聞いた侍大将が本丸の中に注進に駆け込む。

「弾正忠殿の御謀反でございます」
 板の間で鎧直垂と袴を着けていた大和守達勝が怒鳴った。
「なんだと? 気がふれたか、弾正忠め」
 達勝は拳が青くなるほど握りしめた。
「忌々しい、藤左衛門と播磨守はどうした?」
 小姓が「見て参ります」と駆けてゆく。
 達勝が甲冑の袖を着け、横から胴を着せられているところに、駆け込んできた藤左衛門が滑るようにして現れて床に控えた。
「お呼びで」
「すぐお主の城に人をやり兵を呼べ」
「先ほどやりました」
 しかし、実際は既に門の外は弾正忠の兵が取り巻いて一兵たりとも通さぬ構えだったため、使いは辿り着けなかっただろう。
「播磨守はどうした?」
「姿が見えませんが、南曲輪に行くのを見たという者がおりました」
「では武衛様を案じたのだな、やつは案外、気が利くではないか」

   ○

 播磨守は斯波義統を前にして困り果てていた。
「武衛様をお守りするために申し上げておるのでございます」
「だが、大和守がそのようなこと、許す筈がないではないか?」
「大和守殿は武衛様を親の仇の息子として憎み苛んでおるのですぞ。誇り高き武衛の頭領がそのような者の言いなりでよろしいのですか」
「だが、ここでは大和守の力が弾正忠や播磨守より上じゃ」
「それがしはともかく、弾正忠殿の力は今や大和守殿よりも上なのです」
「いや、わしはこの眼で見たものしか信じぬと決めたのじゃ」
 そこへ法螺貝が響くのが聞こえた。
「また法螺貝じゃな」
 弾正忠の軍勢の鬨の声も左右から聞こえて来る。
「あれは弾正忠殿の軍勢の声に違いありません」
 だが、これから城から出ようとしても大和守の兵らが許す筈もない。商人ももはや待っていまい。かと言って義統の小姓達と播磨守の従者合わせて十数名ほどで南曲輪に立て籠もることなど到底無理である。
 もはや武衛様を戴いて謀反ではないと証し立てる策は水泡に帰したのだ。
 誰かが駆けて来る足音がして「大和守殿からお使いでございます」と声がかかる。
 播磨守は観念して言った。
「武衛様のお気持ち拝察いたしました。今の話は聞かなかったこととして流してくださいませぬか?」
「うむ。お主と弾正忠の忠節、ありがたく思ったぞ。しかし、わしは大和守という怖ろしき鷹の前に竦んで身動きも出来ぬ兎なのじゃ」

   ○

 清州城から矢の射程三つ分ほど離れた土地に織田木瓜の幡を左右に三本ずつ立て、その中央に揚羽蝶の図柄を旗印に立てたのが信秀の本陣だった。平手政秀が揚羽蝶は平清盛の家紋ゆえ先祖が平家と伝わる織田家にふさわしいと勧めたものだ。
 そこへ使い番が駆け込んで来た。
「細作より、商人は未だ城を出ずとのこと」
「中務卿、これはいかんな。播磨守は動いたが武衛様は動かなんだと見てよかろう」
 信秀の問いに政秀は頷いた。
「残念ながら。大殿にも武衛様動かずと伝令させましょう」
 使い番を呼び出して後方に陣取る信定に伝令させた。

 こうして信秀勢は弓は射かけたものの、それ以上に清州城には寄せることなく、包囲したまま五日ほどが経った。
 信秀は大和守と交渉し、大和守が上洛の武者揃えに負担を強いたことを謝し、信秀が大和守達勝の娘を無事に返すということで、和解が成立した。
 大和守が折れた理由のひとつには、武衛様から「大和守も奉行どもに不満を持たれぬようにせねばなるまい」との発言があったためという。それだけ言うために義統にとって目も眩むほどの勇気が要ったことは誰も知らない。

 

 

京よりの客人

 

天文二年七月
 この頃の木曽川は墨俣までほぼまっすぐ西に伸びて長良川と合流していた。
 その木曽川の尾張側墨俣の舟着き場を見渡す堤の上で口取りの下人二人が二頭の馬に水を飲ませている。その脇の木陰に織田信秀と家老の平手政秀が並んでいた。
「先年の叛旗は武衛様のお心が動かせずに終わったが、時の運というものかの?」
「御意。戦には必ず時の運がありますれば、それを捉えることが出来れば勝機を掴めます。蜀の軍師諸葛孔明はそれが出来たようです」
「そうだのう。日ノ本にはそのような軍師はおらぬのであろうな」
「孔明の兵法はあまりに強力なためそれを聞いた者は胸の裡に収めて偽書を作ったようです。日ノ本に伝わるのは偽書だけでございましょう」
「うむ。じゃがわしはあの叛旗は大和守の正室を送り返してわがおてふを正室土田御前どたごぜんと出来たことだけでもよかったと思うぞ」
「まさに。小さく見える大きな手柄でございましした。あれで殿は正室のつまらぬ言葉に惑わされることもなくなり冴えておられる」
中務卿なかつかさきよう、次は熱田に近き城を建てたいものじゃ」
「御意。さすれば津島、熱田の二社二湊を押さえて殿の力は尾張随一となりましょう」

 舟着き場に舟が着いて数人の人影が降り立つのが見えた。
「お、いかにもあれが客人のようだな」
「さようで、公家の装束と見えます」
 信秀と政秀は京よりの客人二人のために勝幡城から馬を走らせて、ここまで出迎えに来ていたのだ。
 いよいよ人影が堤を上がってくると信秀と政秀は頭を下げて会釈した。
 京での交渉で顔を見知っている政秀が信秀に教える。
「あの左の薄い竹色の直衣のご仁は蹴鞠の宗家である飛鳥井雅剛あすかい まさつな殿でございます。それがしより三つ上の四十五です」
「そうか、政秀よりだいぶ若く見受けるが」
「蹴鞠というものは古くは殷代に雨乞いの儀式だったそうで、鞠は陰陽を操ると言われます。蹴鞠に長じると歳の取り方も違うのでございましょう」
「ふむ、そのようなものかや」
「右の淡い黄色の直衣のご仁が公家の山科やましな言継ときつぐ公でございます」
 政秀が言うと、信秀が苦笑した。
「ああ、あれが盃を取らせたら当朝一のうわばみか」
「あちらこちらの商人や武家に歌の伝授を持ちかけてはただ酒を飲み歩いてるそうで、今回は飛鳥井殿と組んで蹴鞠と歌の両方を伝授して荒稼ぎでございますな」
「酒の準備は足りそうか?」
「はっ、お一人で一晩に三、四升空けると豪語されてますので二十樽取り寄せましたが、足りなくなれば新たに注文いたします」
「聞くだけで盃を合わせる気が失せるわ」
「仰せの通りで」
 さらに客人の後ろに下人が一人で大きな荷物を担いで従っている。本来ならそれなりの格式の二人なのだから従者もそれぞれ一人ずついるべきだが、昨今の公家は生計が苦しいためまとめて一人にしたのだろう。彼ら公家にとって今回の旅は武士たちに蹴鞠や和歌を教えて実入りを得るためのものであった。

「中務卿、お出迎え、大儀でござりまするのう」
 年上の飛鳥井が四間先から先に声を発すると、政秀は慇懃に頭を垂れた。
「お久しぶりにございます。こちらが手前の主、織田備後守殿にございます」
「おお、お初にお目にかかりまする。お噂通りの凛々しいお武家でおじゃるなあ」
「飛鳥井殿、山科殿、かような遠方までよくぞ参ってくださった、ありがたき限りにございます。長旅を強いてしまい心苦しうございましたが、これより先は我らが手綱を持ちて歩きますゆえ、お二方にはこの馬の背に揺られてお進みいただきますように」
 この時、数え二十三歳の織田信秀がこの中で一番の年下であった。信秀は京より招いた客人にへりくだって馬の背を勧めた。
 すると今度は信秀より四つ歳上の山科が笑みをこぼした。
「おお、それはありがたきこと。徒歩にてお城までまかるべきと思いなしたるを、かくも手厚きお心遣い、かたじけないのう」
 
 政秀が手綱取る馬の脚運びに揺られながら山科が言った。
「尾張はどうやら戦もなき景色ですのう」
「それはご慧眼でございますな」
 信秀は型通りに返した。
「お二人が警護の武者も付けずに来られたのを見れば、戦の心配はなかろうと安堵したのでおじゃる」
 信秀は山科言継が観察眼を持った利発な公家だと知り頷いた。
「確かに。尾張の国中でも多少の争いはございました。しかし、元を質せば同じ織田一族でございますれば、先般、大和守と我が弾正忠家は和解いたしました。さすれば今回は手前どもの勝幡城にも大和守の清州城にも等しくお越しいただく運びとなった訳でございます」
 山科は大きく頷いた。
「まこと目出度きことじゃのう」

 墨俣から二時間ほど歩くと田の中に寺が見えてくる。聖徳寺である。この辺の国人は美濃にも属さず、尾張にも属さず両者にとって中立地帯であった。その中立を使って、これより二十年後の天文年間に信秀の家督を継いだ信長と美濃の梟雄斎藤道三が会見する場となるのだが……、もちろんこの時は知る由もない。

 さらに二時間を進むと小さな社が見えて来た。
「何やら古いお社でございますな」
 飛鳥井が尋ねると信秀が答えた。
「こちらは我らの産土神の津島牛頭天王社ごずてんのうしやの元宮と言われております」
「ほお、道理で。大きくはないが風格がございますな」
 そこで政秀が付け加えた。
「元々はいにしえの帝が屯倉みやけを置いたところでございまして」
「それはいよいよ古そうだ」
「たしか宣化せんかの帝の時と伝わります。御父君の継体の帝の御后が尾張連おわりむらじの娘目子媛めこひめでして特にお計らいがあったのでしょう」
 政秀が言うと、さっきまでうとうとしていた山科が感慨を込めた。
「それはまた趣深い謂われ。中務卿はもの知りでございますな。宣化の次が欽明の帝。その皇子が懐風藻で讃えられた聖徳太子ですから、これはもう、いにしえも、いにしえの話でございますなあ」
 信秀は政秀が尾張の古い故事を披露してくれたことで心強く思った。これで客人も我が織田弾正忠家を重んじてくれそうな気がする。信秀は声を張り上げた。
「さあ、もう少しで勝幡城に着きますぞ」

 まもなく飛鳥井がそれに気付いて顎を上げた。
「これはほのかに潮の香がいたしますな」
 それに山科が言葉を継ぐ。
「おお、正に潮の香じゃ。麻呂はこの香を吸うと、盃たっぷりの酒に明石の鯛を入れたのが恋しうて、恋しうてのう」
 そこで政秀が笑みを浮かべながら、
「あいにくと明石の鯛は手に入りませんが、この辺りでは桑名の蛤が大いに好まれております。酒に焼き蛤もまずまずの野趣がございまして、山科公のお口に合うやもしれません」
「そうでおじゃるか、楽しみなことよ」

 いよいよ平城である勝幡城の館が見えて来て、南西風に乗った潮の匂いが濃くなってきた。
「だいぶ香が濃い塩梅じゃのう」
 信秀が答えた。
「もう津島湊から一里ほどでございます。されば、時に風に乗った威勢のある掛け声やら喧嘩の声やらが聞こえることもございます」
「ほお、津島の湊は栄えておるのじゃなあ」

 織田弾正忠家が、他の織田家に先じて京から蹴鞠の宗家と公家を呼べるようになったのは、津島湊から入り込む財力の賜物だ。
 大量の物を商おうとしたら、整備の行き届かない道や雨や水量で止まってしまう川の渡しに左右される陸路よりは、ごくたまに嵐はあるものの大型の船に一気に積み込み運べる海路の方が分がよいのだ。
 またお伊勢参りの人々はこの戦乱の世にあっても意外に多い。あるいはへたに地元で引きこもって戦に巻き込まれて命や財を失くすぐらいなら、長旅にでも出ていた方が無難だという思いつきがあるのやもしれない。そういう伊勢参りの庶民から「伊勢と津島と、どちらが欠けても片参り」と伊勢に並べて挙げられているのが、天王さまと親しまれている尾張のの津島牛頭天王社であった。
 長い距離を歩いてきた人々はいよいよ伊勢に近い津島まで来ると、まず牛頭天王さまにお参りをする。しかる後に津島湊から船に乗って足を休めながら桑名まで行くというのが当世の流行りらしい。
 だから津島湊を支配していた織田弾正忠家への運上金は当時の財としては莫大なものになった。

 馬を引いた一行が勝幡城の堀にさしかかったところで、山科が声を上げた。
「中務卿、堀のこちら側のこの屋敷は見るからに立派な造りでおじゃるな。いやお城も立派でおじゃるが、この屋敷の主もなかなか数寄造りによう通じてると見受けられる。どなたの屋敷かのう?」
 政秀が照れて答える。
「これは恥ずかしながら手前の屋敷にございまする」
「おお、中務卿の屋敷ならばさもあらん。これはお城だけでなく中務卿の屋敷も一度よく拝見したいものじゃ」
 政秀が信秀をちらりと見やると信秀は大きく頷いて答えた。
中務大輔なかつかさたゆうは当家の誇る家老なれば、必ずや飛鳥井殿、山科殿を喜ばすものを披露できましょう。日取りは改めて中務大輔から伝えさせましょう」
「よしなに頼みますぞ」
「では然るべく手配いたしまする」

 飛鳥井、山科はその夜は勝幡城の館で饗応を受けた。件の焼き蛤は公家のうわばみ殿も気に召したようで、なみなみと注いだ盃を抱えては焼き蛤の皿をさらう。まるで一人の膳で三人が飲み食いしてる早さであった。

   ○

 客人たちは翌日の昼過ぎから平手政秀の屋敷を訪れた。
 平安の寝殿造りは屋根の下の大きな広間をそのまま使う建て方だが、室町を経ると、屋根の下を細かく仕切って、それぞれの用途に振り分ける建て方になった。なかでも建築の技をを最も極めたのが書院という部屋になる。
 山科はその書院に入って感嘆した。
「おお、これは。素晴らしいのう。さる大乱で北山の鹿苑禅寺は大分に傷み荒れてしもうたが、東山慈照禅寺の同仁斎を見れば書院造りがきれいに残っておじゃる。
 この部屋はそれをさらに極めたようじゃ。まずこの上半分を明り取りの障子にした腰高障子、そして格縁を縦横きれいに通した格子天井。作り付けの棚には天袋があり、違い棚が見事でおじゃる。これに載せられておる香炉も硯も銘品のようじゃ。そして掛け軸の花鳥図は水墨だけでのうて孔雀の姿などに鮮やかな色も施されて見ごたえが格別でおじゃる。この作者はもしや?」
 山科が問いかけると、政秀は照れを隠しながら答えた。
「狩野元信にございます」
「おお、やはりそうでおじゃったか。これから先は戦が落ち着く時が来るであろうし、絵も鮮やかなものが好まれるであろうよ」
 飛鳥井も大きく頷いた。
「なるほどこれが狩野元信の花鳥図でございますか、中務卿、またとない目の保養をさせてもらいましたぞ」
「お褒め頂き、恐悦至極でございまする」

 政秀は付け書院の障子を開いて、客人たちを畳に座らせ、茶を供した。これはまだ抹茶の茶道が普及する前なので台所で煎じた茶を天目茶碗に入れて運んできた。
「この黒き茶碗は唐物ですな」
「唐の天目山で作られた天目茶碗になります」
「唐物数寄の者にはたまりませんな。どうも中務卿の平手家は相当な家柄のようだ」
 そこで飛鳥井が興に惹かれて尋ねた。
「平手家の始まりはいかなるものか教えてくだされ」

 政秀はかしこまって答えた。
「お二方の前では僭越ながら、元々、我が平手家は清和源氏新田氏一族の流れを汲む武家でございました。その子孫世良田有親に平手義英という子がおり尾張の小木にやって来まして。平手義英は城の南側に神社を造営したいと思い立ち、越前の織田氏の子孫織田宰相常昌を神主として招いたとの話があるのですが」
 山科が目を見開いてすぐ訊き返した。
「と言われると、平手家が織田家を招いたということでおじゃるか?」
「いえ、それは違うようです。話では当家が招いた織田宰相常昌がある晩、神社を建てよとお告げがあって、小木にござるいにしえのみささぎの上に社を建てたと伝わるのでございますが、
 その神社に言い伝えを確かめましたところ、越前国二宮のつるぎ神社の宮司であり織田氏の祖とされる織田常昌が、応永五年に仕えていた管領斯波義重殿より尾張国守護代に任ぜられて尾張の小木に移り住み、永享元年元日に夢でお告げを受けて下野国宇都宮の神を小木の榊という土地に勧請したというのが真のようです。これがおおよそ百年前のことになります。
 当家の平手義英がなしたるはその後に社を今の大きな陵跡に移したことです。
 おそらくは爺様婆様がどこかで聞いた言い伝えを子らに聞かすうちに、聴いた者が自分の祖先がしたことと混ぜて勘違いしたのであろうと思われまする」
 飛鳥井と山科は揃って頷いた。
「なるほどのう」
「それはそれで興の深い話じゃった、のう山科公」
「ほんに細かな話は聞いてみずばわからぬものゆえ。じゃが今の話で織田家の始まりは越前国の宮司と聞いたが、それは真でおじゃるか?」
「それがしも帝に主の任官願い上奏に備えて調べてみましたところ。
 平重盛の一族は壇ノ浦に没しましたが、次男資盛の孤児を母が隠して逃げて近江国の津田という郷長の家に住みつきます。ある時、越前の劔神社の神主忌部いんべ権正という方がその家の客となり、孤児を養子にして織田村に帰ります。この子が長じて織田親実と名乗り、織田家の祖となったと劔神社の縁起に書き残されてございました。しかし」
 政秀がそこで区切ると、飛鳥井と山科は息を止めた。
「しかし? 中務卿、どうされた?」
「はい、失礼いたしました。当家の言い伝えにもありましたように、いにしえの話はどこかで勘違いが混ざることがございます。全てが真とは言い切れませぬ」
「さもあろうて」
 飛鳥井と山科は頷いた。
「そもそも、その者を評するにあたり肝要なのは昔の出自を遡って源氏か平氏かということよりも、その者が今、いかなる志を持ちおるかでございます。
 我が主は尊皇の志篤く、いずれ内裏修復の寄進も行いたいと申しております。
 何卒、飛鳥井殿、山科殿には、我が主の志をお上によしなにお伝えいただきたく、お願い申し上げます」
 政秀が言うと客人はいよいよ織田弾正忠家という良き金づるを得たと考えたのであろう、満面の笑みを浮かべた。
「おお、その篤き尊皇の志、我らは確かに承りましたぞ」
「ははっ、ありがたき幸せ」
 政秀は客人に頭を垂れた。
 しかしと先ほど政秀が言葉を止めたのは、劔神社の祭神が仲哀天皇皇子の忍熊皇子おしくまのみこであることまで明かすべきか否かを迷ったためだ。
 仲哀天皇の崩御の際に幼王に皇位が奪われると見た忍熊皇子は兄皇子と共に挙兵する。しかし武内宿禰や武振熊の軍勢に敗れて、忍熊皇子は越前国に逃げたといわれる。その地で民のために賊を平定したものの若くして亡くなり、これを民が剣御子神として祀ったのが剣神社の創始なのだった。
 すると新たな王となった応神の帝は忍熊皇子の祟りを畏れて、剣御子神の名から御子の字を削り、その剣神に位階まで授けて祀らせた。
 この経緯を話したら客人はいかに受け取るだろうか。ひとはとかく決着の済んだ歴史をよしとしがちである。そこで劔神社の祭神が王権への反逆者だったと決めつけられては、我が主君の印象が悪くなるかもしれぬと政秀は考え、それを秘したのだ。実際には応神帝と神功皇后側が偽りの和睦で騙して正当な忍熊皇子から権力を奪ったという見方こそ正当と言えるのだが……。
 政秀は溜め息を呑み込むと屋敷の案内を続けた。満足した客人を勝幡城に送り届け、当夜の宴の支度の指図にとりかかるのだった。

   ○

 翌日、勝幡城の前庭で蹴鞠の伝授供覧会が行われ、信秀を筆頭に織田弾正忠家の侍十数名が実際に蹴鞠をする鞠足まりあしとして参加した。本来の蹴鞠会は八名で行うものだが、今回は初めての者ばかりなので外に出た鞠を中に蹴り返す野伏のぶし役の教育も含めて多数なのであった。
 さらに今まで都で開催されてきた蹴鞠会が尾張で見られるという噂を聞きつけた見物客が百六、七十人が詰めかけて、もはや庭に収まらずに馬出しにまで列をなす大盛況ぶりである。

 そして特別に招いた賓客もあった。
 平手政秀は恭しくその賓客を迎え入れた。
「これは大和守殿、わざわざ御足労頂きまして恐悦至極にございまする」
「うむ、そちは平手とか申したの。これが勝幡城か、小っさいのう」
 一年半前に信秀に弓を引かれた大和守達勝である。達勝は苦虫を噛み潰した顔だ。というのも信秀がこの蹴鞠会に斯波義統をも招いていたからだ。達勝は弾正忠家がそのまま武衛様を拐して達勝の立場を乗っ取ろうと謀っていると訝しんでるのだ。さらに達勝自身の身の上も案じて警護の侍どもを十名も引き連れての訪問である。
「武衛様じゃが蹴鞠は好まぬゆえ断ってくれと申されてな。ここには参らぬ」
 平手政秀は涼やかに答える。
「はっ、そうでございましたか、これは武衛様のお気持ちに気付かずに失礼な誘いを申しまして、どうぞご容赦くださいますように。庭に面したお席に案内いたします」
 こうして大和守達勝は殺気放つ護衛共を後ろに並べて縁側に座り込んだ。

 賓客はもう一人あった。数年前に清州城と熱田社の間に突如、城を建てた今川那古野家の主左馬助竹王丸である。こちらは目元のろうたげな元服前のあどけなさの濃い若殿のため、傅役もりやくらしき年配の家人が連れて来たのであった。
「中務卿殿、世話になるぞ」
「これは左馬助殿、ようお越しくだされました。お席に案内いたします」

 庭の中央は七間半四方の生垣で区切られてかかりと呼ばれ、四隅には蹴り上げる高さの目安にするため高さ五尺の桜、柳、楓、松の植木が置かれている。
 鞠は円形に切った鹿の革を二枚向き合わせて、境を馬の革帯でつないで、大麦を詰め込み芯にした上で縫い合わせ、表面ににかわを塗り堅める。縫い目を緩めて芯の大麦を抜き出して中空に軽く仕上げてある。鞠の大きさは男の手のひらいっぱいで、馬の革帯の部分が締まっているため真ん丸ではない。
 蹴るくつも鴨の皮で造った上に漆を塗って固めたものである。こちらは代用の品ではうまくいかないから政秀が十足分を揃えてある。
 また正式な衣装は鞠水干と呼ばれて、広い袖が翻って目立つように、鮮やかな色彩にしたり、金糸で模様を描いたりと凝ったものなのだが、こちらは用意はなく参加する武者たちは普段来ている水干だ。
 飛鳥井流の宗家である雅剛が庭の真ん中に進んで挨拶をする。
「この度は勝幡城で蹴鞠を広めたいという織田弾正忠殿の熱き思いと、織田大和守殿の尾張国中に広めるべしという高きご見識に応える形で、このように賑やいだ伝授供覧会となりめでたき限りと覚えるなり。参集された方々に蹴鞠を覚えて頂けば、遠からず尾張は京の次に蹴鞠の盛んな町となるべし。
 さて蹴鞠なるものは、唐国が殷と呼ばれしいにしえに、天地の陰陽に働きかけ雨を降らさんと鞠を蹴り上げた儀式に始まり、本朝では後鳥羽院により作法が完成されたもの。特に院の催した水無瀬離宮の蹴鞠会では二千三十ふたせんさんじゆうという途方もない数を数えることとなり、正に後鳥羽院はこの道の長者なり。わが飛鳥井家はその院宣により蹴鞠伝授を許された家筋ゆえ、安堵して我が訓により給え。
 ことにこの会は武家の方が数多あまたなれど、蹴鞠の本意は勝ち負けに非ず。いかに多く足数を続けるかにあり。ついてはいかに相手に蹴りやすき鞠を渡すかに心を向け候え」
 飛鳥井の言葉を受けて侍たちは「なるほどな」などとざわめきあった。
 ここで信秀が見渡して声を上げた。
「皆の者、我らは蹴鞠の赤子じゃ。まずはここにおわす宗家の飛鳥井殿はもちろん、山科殿も蹴鞠師範だそうじゃから、お指図をよく聞いて技を身に付けられよ」

 次に飛鳥井と山科が懸の両端で向き合って技の見本を披露した。
 まずは橙色に黄色い糸車の模様の鞠水干の広袖を揺らして山科から、鞠が蹴り上げられる。侍と見物人たちの目は一斉に鞠の行方を追う。
 深草色に金糸で竹の模様の鞠水干を着た飛鳥井は心得たもので、鞠が地上に落ちる手前ですっと鞠沓を伸ばしてまず鞠の勢いを止めたかと思うと、次の瞬間、自分の真上に蹴り上げるが、それは腹の高さから下降し始める。見物人はこれでは届かないではないかと残念がるが、飛鳥井が澄ました顔で次のひと蹴りをすると鞠はぽーんと二間以上高くまで空中を飛び、山科の足元に落ちてゆく。
 その鮮やかな軌跡に見物人がどよめいた。
 飛鳥井は皆に説明する。
「かくのごとく三度に蹴り分けて次に蹴り渡すが一段三足の作法なり」
 侍たちから「これが作法とは」「凝った技よ」と声が漏れる。
 今度は山科も一段三足で飛鳥井の蹴りやすい位置へと蹴り返す。
「時には相手からの鞠が受けずらく、三度に蹴り分けられぬ時は二度で返すのもありまするぞ」
 飛鳥井は今度はわざと一度の蹴りで小さく弾んだ鞠を素早く足を移動して二度目の蹴りでまた山科へと蹴り届けた。
「しかし一度で返すのはよろしくない。相手の準備が追いつかないもとになりますぞ」
 飛鳥井は返って来た鞠を一度で相手に向けて蹴り返し、鞠は高めに飛んでしまい山科が横を向いて足を上げても届かなかった。

 飛鳥井と山科による見本の披露が終わると、鞠足となる侍たちは二人ひと組みで向かい合い互いに鞠を蹴り合い始めた。飛鳥井と山科はその間を歩き回り指導してゆく。
 山科は一人の侍に語りかけた。
「爪先は上に向けない方がよろしい。爪先で蹴りおると上に行き過ぎたる。さらに行方も定まらぬもとでおじゃる。心がけて足の甲を使いやれ」
 侍は蹴り方をすぐに変えて山科に言う。
「ははあ、なるほど。ありがたきお言葉、得心いたした」
「常に足の甲の面で蹴るのでおじゃる」
「これならよき加減でござる。おそれいりました」

 縁側には十名の護衛を従えた織田大和守達勝と今川那古野家の竹王丸と傅役が並んで座って眺めていたが、竹王丸が傅役に何事か語りかけ、それを受けて傅役は縁側の隅にいた平手政秀に歩み寄って話しかけて来た。
「中務卿、折り入ってお願いがござる。本日は見学だけの予定でござったが、若殿がどうしても飛び入りして鞠を蹴ってみたいと仰せなのじゃ」
 政秀は微笑した。竹王丸は元服前の十二歳。この珍しい遊びに見ただけでも夢中になっておかしくない年頃なのだ。竹王丸は今も政秀に熱い目くばせを送って来る。
 政秀は軽く頭を下げて答えた。
「かしこまりました。すぐに主から宗家にお伝えしてご参加頂きますよう取り計らいまする」
 政秀は庭に降りると信秀の後ろに近付いて、今川那古野家の若君が今すぐ飛び入りしたがっていると伝えた。
「であろうよ」
 信秀は政秀を振り向いて笑い頷いた。そして飛鳥井に近付くとその旨を懇願した。

 飛鳥井も微笑して、縁側の竹王丸に手招きを送り、竹王丸は飛ぶように庭に降り立った。政秀はその足に鞠沓を穿かせて紐を締めてやった。
 竹王丸の相手を買って出たのは信秀自身である。
「竹王丸殿、弾正忠信秀でございます」
「これは弾正忠殿、ご配慮、痛みいる」
 竹王丸のぺこりと頭を垂れる様子がまだ童そのものである。
「やはり蹴ってみとうなられましたか?」
「そうじゃ、かように面白きものを見物だけですませられようか」
「はい、手前も始めて見た時は竹王丸殿と同じ心地がしました。勝幡城では蹴鞠会だけでなく、連歌の会も時々開く予定でおりますれば、ご興味がおありでしたら是非、手前と仲良うなってお越しくださいますように」
「弾正忠殿、嬉しいお誘い、感謝申し上げまする」
「それでは蹴られてみましょうのう」
 信秀は満面の笑みの竹王丸に鞠を渡し、その蹴りを見守った。
 弾正忠家ではあの海賊退治の時に材木買い付けから知っていたわけだが、今川那古野家は先年、那古野の自寺に突然に櫓を建てたかと思うと城まで構えた。
 那古野城の位置は織田大和守の清州城、織田伊勢守の岩倉城、そして尾張の要たる熱田社、熱田湊の真ん中にあり、まるで尾張の臍に楔を打たれたようなものだから、織田の諸家にとって面白い筈はなかった。
 その主がこの蹴鞠に夢中な童では今川家はあまりに無防備すぎやしまいか。
 そう思いながら微笑む信秀の胸に、いずれ那古野城を攻め落とすという野心がちろちろと沸き起こるのであった。

つづく


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