信長はなぜ孤児にされ育てられたのか?
そもそも戦国とはいえ信秀が自分の乳飲み子を別居させて育てたのはなぜでしょうか?
専門家の方が当時はよくあることだったと言ってるので、有名な信長がそうなんだから他にも例はあるんだろうなと思ってスルーしてしまいますが本当でしょうか?
確かにものごころがついてから寺などに預けてしまうことは戦国大名ではよくあったようですが、信長のように、乳飲み子の時に城持ちではあれど孤児のようにされた大名の子はあまりないと思われます。
その差は大きい筈です。それが人間形成にいかなる悪影響を与えるかを信秀は考える余裕もなかったのでしょうか?
この辺から推理して仮説を立てて書き始めたところ、すっきり見通せる部分がいろいろ出てきてました。ということは仮説が正しいということかもしれません。
上下2巻体裁で上巻を桶狭間までと考えてますが、現在その手前で360枚まで書けてますので、そろそろ冒頭の部分を公開しようかと考えています。よろしくお願いいたします。
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